おなごテツ

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3月25日(土)『AIに聞いてみた。「人を愛するとはどういうことですか?」』について考える

3月25日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『AIに聞いてみた。「人を愛するとはどういうことですか?」』でした。

以下は当日の発言録です。

『人を愛するとはどういうことですか』

☆AIの答え☆(2023/2/10時点)     

誰かを愛するということは、相手に対して強い愛情や配慮の気持ちを持つということです。これには、暖かさ、優しさ、思いやり、そして深いつながりと愛着の感覚が含まれます。愛は、その人と一緒に時間を過ごす、贈り物をする、精神的なサポートをするなどの行動で表現することができます。多くの場合、その人を幸せにしたい、その人の幸福と成長を支えたい、という気持ちが特徴です。また、愛は、人生に喜び、平和、充実感をもたらす激しい感情として経験されることもあります。しかし、愛にはある程度の無私の精神が含まれることもあり、愛する人のニーズや幸福を自分のことよりも優先させることがよくあります。

  • 恋とは何?と混じっているイメージ。
  • このAIの答えを導く方法が気になる。ひとつの事を深めている感じではなく、たくさんの人の考えを羅列している印象。
  • よくまとまっているなーと感心。うすっぺらいけど。言語化するとこうなるのか、と。目に見えない愛というものを言語で説明するのは難しい。
  • リアル哲学カフェで、愛についてAIのような意見を言った人に対して、「宗教的だ」と言った人がいた。
  • この文章は一方的な印象。愛は二人の間にあるものという気がするが、この文章では、推し活みたいな、ファンがもつ愛のようにも言える。AIは愛されるという経験をしていないから、愛し愛される関係というのは難しいのでは。
  • AIの文章は経験値がない。メタ的。他の場で、映画の感想を語る会があったが、男女では視点が違うのがよくわかった。AIの回答は男性的な気がする。自分で考えてない感じ。
  • 推し活してる人を分析している人が語っている語り口、みたい。
  • AIには、多数決の意見が出てくる。躾けられているからキレイ事になりがち。とすると、キレイ事でない「愛」はどんな感じだったのだろう…と思う。
  • 自分が言語化しても似たような内容になってしまうのではないか。客観的にものを書くとこうなるのか。愛は流動的なものと考えているが、それを固定化するとしたら、こうならざるを得ないかも。

『人を愛するとはどういうことですか』

☆AIの答え☆(2023/3/25時点)     

人を愛するとは、その人を受け入れ、尊重し、支援し、その人が成長し、幸福を感じられるようにすることです。愛するとは、相手の欠点や弱点を理解し、その人を補完し、癒し、強化することも含みます。愛することは、感情や性的魅力だけではなく、深い理解や思いやり、共感、信頼、忍耐、献身、そして努力も必要です。愛することは、自己犠牲を必要とする場合もありますが、その対象である人が幸福であることを願い、彼らの幸せを最優先に考えることが重要です。愛することは、家族や友人、パートナー、恋人、子供など、さまざまな人に対して適用されます。愛は、人生において非常に重要であり、幸福感や満足感を生み出すことができます。しかし、愛はまた、失望や痛みをもたらすこともあります。愛することは、自分自身や相手を傷つけたり、不幸にすることがないよう、慎重に行われるべきです。

  • 愛は傷つくこと。傷つかないように愛せるのか?相手を思い過ぎると成長を妨げることもある。傷つけあっていくのが愛では。不幸になってもいいよ、という覚悟で愛したい!
  • 愛することは本当に利他的なのか?愛したいから愛するのに。成長や幸福を願いはするけど、自分のためでもある。愛する=利他ではないのでは。
  • あまり共感できない部分がある。「彼らの幸せを最優先に考える」、とか。エーリッヒ・フロムによると、愛するを愛されるに置き換えているという。女性は、好きな男性に対して、魅力的な女性になろうとしがちだけれど、相手の幸せを最優先にする、というのは愛の在り方としてはどうなのか。 「慎重におこなうべき」と言われても、どうすればいいのか、と。相手を大切にしなければいけないが、自然に湧き上がる感情を「べき」と書かれると苦しくなる。
  • 三月版のAIには共感。「相手の欠点や弱点を理解し、その人を補完し、癒し、強化することも含みます。」…相手が破滅に向かう時に止めても、相手が破滅を選ぶ時、ついていけば自己犠牲になるし、別れれば自分を愛することになる。
  • 愛することは、成長や経験あってのこと。相手の思うままにさせるだけが愛情ではない。例えば夫がお菓子ばかり食べていたら健康を損ねるから制限するのも愛。でも相手は愛に気づかないこともある。
  • 映画「リリーのすべて」 夫に女装させて絵を描く妻。ある日夫は、自分は男性が好きだと目覚める。妻は葛藤しながらも、夫があるがままでいられるように手伝う。その行為は利他的だが、同時に自分も大切にしていると感じる。
  • AIはいろいろなものを吸収しながら成長している…忖度もしつつ。AIを受け入れることも愛かも。笑
  • AIの表現に違和感を感じる。 愛は意識的なものではない、と思う。むしろ、自分の中にもこういう感じがあったんだと後から気づく感覚。その前提ゆえに、AIに語られると違和感があるのかも。
  • AIは曖昧が苦手。言語化できることだけを述べるので、「だけ」がキモ。言語化できないモヤッとした部分を人間が担う? それをどう表現するのか。目に見えない部分に大事なものが含まれているのでは。
  • 違和感というセンサーは人間しかもっていない。
  • 情動、が人の魅力。でもそういうのはAIは語らない。目に見えない部分はわからないのだな、と。意識的なことは語るけど。
  • 多様性が認められるのも愛なのか。AIからは押し付けられている感じもある。
  • AIは、後から振り返ったのを分析している。後からこうなるかも、という可能性を提示してくれているのかも。今のAIはたたき台として使う人が多いが、ツッコミを入れることで人は気づける。
  • AIは正解を教えるイメージもあるが、AIの答えを見て、これは正解じゃないと思って読んだ方が面白いかもしれない。
  • 無償の愛という言葉があるということは、有償の愛もあるのでは。私はこんなに愛してるのに…とか。そう怒る人は愛してほしいから愛してた。無償の愛ではない。AIの語る愛は無償の愛、という感じがする。でも人が人を愛するのに無償の愛は難しいのでは。見返りを求めず人から愛されたのは個人的経験では親からだけ。 恋人同士の愛を考えると、見返りを求める部分もあるのでは。
  • 哲学カフェは愛にあふれている。愛は見守ること。それぞれの選択を見守ること。相手の選択も肯定的に見守る。深い愛を捧げるには、自分の供給する愛が枯渇させてはいけない。だから相手からの愛も必要。
  • 愛は定義が広い…
  • ホワイトデーのお返しがなかった。夫は普段は無償の愛とか言いながら…。相手を喜ばせようという考えが頭に浮かばないのだろう。それは愛がない、と思う。供給する側の愛のタンクがカラになれば出せない。
  • 一方通行ではなく、愛にも循環してほしい。恋人の愛と家族の愛はまた違うのかも。無償の愛でも贈り合わないと。
  • AIの答えに「ギブアンドテイク」ってあったら、面白いですね。
  • モノをもらうのがきらい。もらうと逆に愛じゃないと感じる。無償の愛にこだわる人が多い。母親はそれをもっているという世間の偏見もある。子供を愛する時、子供が幸せなら自分も幸せで、幸せを貰っているので無償ではない? 無償の愛にこだわると重苦しい。たとえ等価交換にならなくてもOKとすればいいのでは。
  • 無償の愛には毒性があることもあり、共依存は起こりやすい。相手が暴君になったり。エネルギーが循環する相互間のバランスが愛には必要。
  • 最近、みんな無償の愛を欲しがりすぎる傾向にあると思います。
  • 愛のもらい方上手と、愛のもらい方下手もありますね。
  • 夫が妻に尽くし、妻は受け取り上手という夫婦がいるらしい。受け取る=与えている、ということもあるのでは。目に見えるものだけが愛ではなく、相手にしてあげることがあることも、受け取っていることになるのでは。
  • 訪問介護士で、年老いたおばあちゃんの所に行ってテレビ見てるだけ。でもその介護士をもてなしてくれるおぱあちゃんは、それで元気になる、という実話もある。
  • 無償の愛という美しい言葉にも陰と陽の裏表がある。微妙なニュアンスがAIにはわからない。哲学カフェのように複数で考えると、AIの答えにはない所が見えて面白い。
  • AIへの危惧。人間の細やかなニュアンスよりもAIを信用する人が増えてくること。実際に少しずつそんな気配がある。
  • 現段階では、書類のたたき台を出す時、今は人のニュアンスで勝負することができる。でも今後、そのニュアンスまでAIが表現できるようになった時には、わからない。
  • <AIの回答に欠けているものは?という質問に対し> AIは沼落ちしない…。愛についてもその観点がないことが違和感。
  • もし自分が子どもでAIを使ったら、それが正解だと思い、縛られそう。 個人的には沼落ちするタイプだから、それを受け止めてもらえる場が必要。
  • AIに欠けているのは、ナラティブな肉声。無駄、カオスが欠けているのでは。ネットに上がっているものだけではなく、日常の生活感まで掬い取れば変わるのでは。
  • 慎重に気を付ける、というのはイヤ。むしろ愛は慎重さが欠けることなのでは。
  • AIの答えには、愛というものは利他的だというイメージがある。しかし愛には自己愛もある。自分の愛のタンクを満たした後に相手に与えるという話があるが、正しい気もする。自分を愛するという視点がAIにもあるとよい。
  • 質問の時点で「人を愛するとは」と聞いたので利他になってしまったのでは?
  • AIの答えは立派過ぎる…。この愛の定義に当てはまらない人でも愛せるのでは。それに、この定義に当てはまらない自分は愛されないのか?と。
  • 問いにおける「人」という範囲が広すぎるのでは。
  • 個人的な愛の定義。相手が笑ってくれたらOK。
  • 愛とは、頭の中に相手のことがよぎること。
  • 愛されなくても生きていけるけど、愛することができなかったら辛いのでは。
  • 愛する対象がない人生はむなしい。
  • 愛することと愛されることには時間差がない。
  • 人を愛するとは…。個人的には「存在の肯定」。 パートナーから愛されていると認識できるのは、自分の存在を肯定してくれるから。何もしなくても欠点も含めて、ありのままで存在していいよ、と態度で示してくれた人に愛されていると感じた。だから相手に対しても、存在を肯定する接し方は大切。意見は異なっても肯定はできる。
  • 自分が相手を肯定できることも幸せ。
  • 存在の尊重。あなたがいて私はうれしい、ということ。

 

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