「華がある人」や「魔力がある人」には何があるのでしょう?
魅入られてしまう人には何があるのでしょうか?
光を放つ側、闇に惹かれる側、さまざまな立場から考えてみませんか。
・映画「ベニスに死す」では、ビョルン・アンドレセン扮する美少年に惹かれる老教授が、疫病が蔓延する中、命の危険を顧みず彼を追い続けてしまう。美少年の魔に魅入られていた。
・老教授が美少年に何を感じたか。自分の中に欠けているもの、潜在意識で欲しくてたまらないものをその人がもっていたのでは? そこまでのものでなければただのキレイな子で終わってしまう。自分の内面との響き合いの中で魔や華が生まれるのかもしれない。
・魅入られる「場所」もある。ある駅でとびこみ自殺した人がいて、その後も同じことが続いたことがある…。なにか魅入られるものがあったのか。
・華のある美しく完璧な人がいた。面白くて人気もあったけど、この光は怪しい…と感じていた。なぜ影がないのか? つきあううちにわかってきたことがある。その人の母もそういう人だったことで、彼女もそうなりたいと思ったらしい。しかし作為的にしてしまったために、周囲の人は離れていった。作為的なところに「魔」があった? そもそも光と闇は両方ないとおかしいのでは。
・誰しも心の中には人に言えない欲望などがある。自分では具現化できないけど他者がそれを表現していた時「華」と感じるのかも。すごい人気のグループなどは、ファンの中にあった欲求が具現化されているのだろう。また、それと一体化できる、したいと思う時に「魔に魅入られる」のかもしれない。
・「かてぃん(角野隼斗)」というピアニストに「華」を感じる。シンプルな曲も、彼が弾くと華やかになる。ビジュアルや、楽器や曲とも関係ない気がする。この華やかさはなんだろう…と思う。一定の規則に沿っているのか?とても不思議。
・華を感じるピアノの音はノイズがなく純粋なのかも。ごく普通の演奏にはノイズがある。どちらがいい、わるいというわけではないけれど。
・かてぃんさん(ピアニスト)の純粋なクラシックはそれほど面白くない。現代音楽やアレンジのバランスが「華」を生んでいる?自分を壊してくれるところに「魔」を感じる。
・エキストラで芸能人に会った時、芸術品のようだと感じた。華というのは、自分とはちがう世界のことと感じる。魔は心に作用してくる。その人の世界観があり、自分の感じ方が左右されるような気もする。
・できないことを望むことは破滅に向かうこと、魅入られること?
・魔→壊れる→再生の流れがありそうだなと思った。
・トルーマンカポーティの『遠い声、遠い部屋』という小説がある。この作品には魔や闇を感じる。表現に技巧が凝らされていて、読み進めるうちに闇にひきずられていくような作品。普通の人にはとらえきれない過剰なもの…闇が込められている。
・私がベルサイユ宮殿にいったら「華!」と思う。受け止められないほどの「華」。自分の地味な家に戻ったらほっとするだろう。対象との距離というのも、華や闇を感じるひとつの要素。
・谷崎潤一郎の世界についていけない…。高等遊民。働いていないのに浪費、贅沢!おもしろいけど実際にいたらイヤ…。ダークな世界は現実にはなく、小説や映画などで光り輝くのでは。距離があれば楽しめる。
・ジェンダーの問題をあつかう場にいた時、女性たちの行き過ぎた怒りの中に違和感があった。ホワイト社会について語る場の中でも違和感を感じた。白と黒、と分けることへの違和感?
・ビョルン・アンドレセン(「ベニスに死す」の主役の少年)のような美しい顔に生まれて、無自覚に人から美意識を投影されたら…生き方が難しくなるだろう。「魔」が彼を利用した?美を具現化するものとして。美に魅入られた被害者。
・神社に行くと、昼と夜では様子が違うがどちらにも惹かれる。白と黒、両方ある。
・恋愛中、「君は太陽みたいだ」「ずっと輝いていてほしい」と言われても、そうできなかった。ずっと光のままでいてくれと言われても困惑する。お互い光も闇もあるはず。
・恋愛は妄想だから、言わせておけば…。
・魅入られることも妄想なのでは。でもリアリティを感じるから破滅することもあるのかも。
後半
・問い…華と魔、の違いとは。発する方でも受け取る方でも。
・魔=破滅、としたら、華=浄化と言えるかも。どちらにしても、自分とは決定的に距離がある。一体化するほどにはのめり込めない。現実感とかけ離れているに魅入られはするけど、一体化はしない。しかし、距離を埋められない人も、なかにはいる。
・人に対して「華があるね」とは言えるけど「魔があるね」とは言えない。魔はクローズド。華は多くの人に作用する。魔はそうではない気がする。
・「魔があるね」と言われる方がうれしい。自分がクローズドだからか。華のわかりやすい例が「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラとしたら、魔はメラニー・ウィルクス。彼女には底が知れないところがある。メラニーが死んだ時、周囲の人が変わる。スカーレットからは人が離れていく。魔は人を変えていく?
・魔は「飲み込まれてしまう」もの。主体がなく相手まかせ。華は、それを見ている自分がいる。客観性がある。
・華は花で、魔はそれに集まる虫。甘い蜜を享受したくて集まる。でも、魔の花もある。一体化しなければ逃れられるかも。
・ビョルン・アンドレセンが老人になったときの姿はインパクトがあって感動的だった。『ベニスに死す』の中のビョルンの美の一部は作られたもの。あそこまで作り上げたのはヴィスコンティの力。華はダイヤモンドと同じで、誰かが磨いて生まれるもの。自分で磨く人もいる。一方で闇(魔)は生まれ持ったものなので希少価値があり、心を持っていかれるのでは。
・『風と共に去りぬ』のアシュレーこそ、魔。華のあるスカーレットが頼りないアシュレーに魅入られている。それはスカーレットの妄想。自分にないものを求めている。でもアシュレーはスカーレットの想いを受け入れなかったから「魔」たり得た。「魔」であることに無自覚である方が、他者を没入させる「魔」になる。
・『戦場のメリークリスマス』におけるセリアズ(D・ボウイ)。セリアズにヨノイ少佐(坂本龍一)は惹かれていく。セリアスには魔性があった?
・相互作用でつくられた関係。闇にのまれて壊れていく…。
・『戦場のメリークリスマス』の二人は単なる同性愛ではない。セリアズは言葉に尽くせないものを込めてキス(抱擁)した。それは、恋愛よりもっと大きな愛(人類愛、平和)のようなもの…。ヨノイ少佐の方は、そのメッセージを受け止めきれず壊れたのでは。 映画を観ている側としてはセリアズの方に華を感じた。受け止めた側の心で華は決まる?
・無意識に策略として使っている「魔」もある。それがイヤ…。
・絵画でも「華」と「魔」がある。ダリには狂気を感じるが、マグリットはもっと平和的。どちらもシュールレアリズムだけど。受け取り手によって欲するものがちがう。
・「魔」というのは資本主義では重宝される。華は労力や忍耐も必要。ある人の考察で「戦争は引き起こしやすいが、平和を作るのはむずかしい」「人を怒らせるのはカンタンだが笑わせるのはむずかしい」とあった。これと同じことが「華と魔」にも言えるかもしれない。華は手に入れにくい。
・絵を、好きでも飾れないのは華と魔の違いかも。飾りたくないのは「魔」に通じる。
・『戦場のメリークリスマス』には美意識の共有を感じた。
・退廃的な人に「魔」を感じる。それは生きにくそうな人でもあり、だからこそ生きてほしいとも感じる。
・芸術家は闇を昇華して絵にする。それを見る人は自分の闇を刺激されて感じる。表現せずにいると魔性を帯びていく。誰かを助けてあげたい人にとって、それは魅力的に感じるかもしれない。
・華も魔も、日常的に縁のないことだと思ってしまう。物語の世界。人間が作った文化。でも静かに魅入られていることはあるのかも。自然の美しさとか。
・「戦闘機」のデザインの美しさには魅入られるけれど、それは兵器でもある…。
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