おなごテツ

女性限定哲学カフェ「おなごテツ」のホームページです。

2月24日『みんなちがって、みんな〇〇』について考える

2月24日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『みんなちがって、みんな〇〇』でした。

(金子みすゞさんの詩から)

以下は当日の発言録です。

☆まずは、みなさんに〇〇に入れたい言葉をホワイトボードに書き出してもらいました。以下は、出てきたワードです。

同じ/いいの?/キモい/おもしろい/個性的/鏡/正直/死ぬ/共存/優しい/人間/自由/一緒/謎/スペシャル/ボーダレス/訳アリ/没個性/自分勝手/楽しい/同じ/カワイイ/おもしろい

☆その後、その言葉をどういう意図で入れたかの説明をしてもらいました。

    • おもしろい…違うからおもしろい。
    • おもしろい…芸人さんのツイッターから。
    • 同じ鈴木大拙風。
    • 同じ…いい人もわるい人も一生懸命やってるのは同じ
    • いいの…ほんとにいいの?
    • キモい…人の闇の部分。
    • 個性的…個性のない人はいないのでは?
    • …同じ行為をしたり比較することで自分がわかるのでは。他人は鏡的な存在になり得る。
    • カワイイ…行動に問題がある子がいるけど、みんなちがってかわいいからお世話し甲斐かあると言われたことがある。
    • 正直…そのままだから。
    • 死ぬ…単なる事実。
    • 共存…見かけがちがうけど生きてる。ちがいを認めて共存したい。
    • 優しい…職場の人、自己中な上司がいるが優しい一面もある。人は必ずそういう面をもつ。
    • 人間…事実。自分とちがう人、常識はずれの人を人間扱いしない人もいるけど。
    • 弱い…社会的に強い人でも、弱者になるかもしれないという視点をもっていたい。
    • 宇宙人…同じだと思って接すると期待過多になって辛い時も。似ていても違う。お互い宇宙人だと思って接した方がいい。
    • 自由…みんな違っている前提でなにかしようとすると、枠を自由にしないと動けないのでは、と。
    • 一緒…自由な枠の中では、少数派であっても一緒。存在の平等性。
    • 一緒…本質的には人間は一緒
    • …観察すると、ますますわからなくなる。謎になる。
    • スペシャ…みんなちがうけど、その人の大切なスペシャル。個性。
    • 訳アリ…普通に見えても、意外な過去や経験がある。おもしろい。お互い訳アリとわかっていることが寛容になる。
    • 没個性…傷つけてはいけないとか、差別はいけないとか、それはいいことだけど、使ってはいけない言葉も多く面白くない…。いやだと感じる部分を言いにくい。個性を出しにくく、失われつつあるのでは。
    • 自分勝手…みんなの違いを認め過ぎると、好きにしていいじゃんとなりがちでは。
    • 楽しい…違いが出て凹凸がある方が楽しい。
    • 比べる…違ってることで比べてしまう。
    • ボーダレスグローバリズムが叫ばれ始めた頃、ボーダレスと言われ始めた。でももしかして中庸でなくなり自分軸をなくしたのでは。自分軸なくボーダレスというのは変なのでは。
    • マイノリティ…オードリー・タンさんの本から。みんながマイノリティと思うことで寛容になれる。

☆後半は何について話したいかを相談し、『鏡』が採用されました。

☆後半 【みんなちがって、みんな鏡】から

  • 鏡…みんな一緒だったらコミュニケーションは必要ない。比較しないことで自分のこともわかりにくい。「鏡の法則」という、現実を、自分の心を投影した「鏡」の世界であると見なす考え方がある(心理学の用語)。
  • 他者は自分に合わせてくることがある。嫌なことを言うと嫌なことが返ってくるし逆もある。
  • お金の話をする人の周囲にはそういう人が集まるし、類は友を呼ぶ。人間関係は今の自分を映す鏡。誰かを卑怯だと思う時、自分の中にその芽がある。
  • 自分と違う人と話して「自分とは違う」とわかった時、自分の偏りがわかる。
  • 相手の望むことを意識してきた。自分が鏡の役割を担っていた。でも鏡は鏡を映せない。結局自分も他人という鏡が必要になる。合わせ鏡。
  • 鏡を通さないと自分を見ることはできないのだろうか? 距離がある。そのまま自分を見れないのか? そうするためにはどうしたら?
  • 白雪姫の母の鏡のような生き方をしてきた。でも聞かれなくなったら楽になった。一方で、鏡になってくれない人と関わるのもキツイ。フィードバックがない。
  • 鏡を割ってもいいと思うこともある。白内障の手術前後の見え方の違いの感想で、アラがたくさん見えて、見え過ぎるのもつらい時には見なくてもいいのでは。
  • 目隠しされてマンダラの中の仏様にお花を落とす儀式がある(高野山金剛峰寺の結縁灌頂)。生まれ変わったよと言われて目を開けると、目の前にあるのが鏡。人間は三種の神器みたいなパターンがある。自分は鏡の分量が多かった。
  • 自分に近い人の方が嫉妬しやすい。遠すぎる人は嫉妬の対象にならない。比較した時、凸凹が明白になりやすいからか。
  • 身近な人より、遠い人にも嫉妬する。鏡の範囲が広いのか。
  • 嫉妬してくる先輩がいる。自分はその人に近いと思えないけど、立場的に近い。先輩は嫉妬でおさまらずイジワルする。醜さが出る。嫉妬される側は逆にいい面が現れる。似ても似つかないのに嫉妬している。
  • なりたいと思うイメージを体現している人に嫉妬しやすいのでは。
  • 自分はできないことをしている人に嫉妬する。
  • 嫉妬は、他人の良い状態を悲しむ。悲しいから嫉妬する。鏡の広さよりも、どれくらい自分の願望などを集中するのか。みんなナルシストになったら生きやすい?
  • 鏡もきれいなのばかりじゃない。曇ってるのもある。みんなちがってる。その曇りやゆがみをバイアスという。
  • 周囲を鏡として認識してはじめて鏡として機能する。
  • 人間は同じものを欲しがってるのに、やり方が違う。それに対しての違和感に嫉妬する。やり方が気に入らないから攻撃したくなる?
  • 嫉妬は破壊的行為。白雪姫の義母や眠りの森の美女の魔女の嫉妬。さみしくて仲間外れになって腹が立つからする? 自分もボロボロになる。
  • 好きと感じることにも自分の要素がある? ナルシストじゃないけど…
  • 同性の友達でも異性でも、違う人を求める傾向がある。完全性への憧れ。
  • 自分と同じものをみて嫉妬するのと好きになるのと、両方あるんだな…と。
  • 自分の中の解像度を上げて周囲を鏡としてみる。精神的に自立してる人が好き。
  • 好きな人。根底の価値観は似ているけど、それ以外が違う人に魅力を感じる。
  • 精神的な自立と依存。どうしたら自立できる?
  • 自分の欲求があって、相手がダメといったときにすっと引ける人が自立した人のイメージ。
  • 自分の弱点、いやな部分を受け入れられるのが精神的自立している人。
  • みんなちがって、みんないい、と思えない時に嫉妬するのでは。普通はそうは思えない、難しい。その難しさゆえに嫉妬になる。同じであると見たいのは、安心したい、安定したいから? 同じじゃないから嫉妬する。ジレンマ。
  • 親から精神的に自立しろと言われていた。失敗しても自分で責任をとれ、と。親に後始末させるのは甘えている。
  • そもそも「みんなちがって、みんないい」に対する疑問がある。多様性を受容できる余裕は、自分の都合がわるくならない範囲で。安全領域を設定したうえでのこと。
  • 多様性、言うは易し。でも難しい。会話する、工夫する、考えるの3Kが必要。コミュニケーション大前提。一緒に暮らすための折り合いを工夫する。違いがあったらどうすればいいか考える。
  • コミュニケーションは大事だけど、雰囲気とか察することがあたりまえで、日本ではコミュニケーションが軽視されていないか。
  • 白雪姫の母の鏡のような在り方はやめた。みんな一緒でないと、と思っていたことが多かった。おしゃれ鏡にならなくてもいいんだな、と。

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12月23日『今年はどんな一年だった?』について考える

12月23日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『今年はどんな一年だった?』でした。

以下は当日の発言録です。

  • 一年を振り返る。どうして振り返るの? 振り返る意義って?
  • 今年を四字熟語で表すのも面白い。
  • 次につながるために今年を振り返りたい。年始に考えたことをいつも秋頃から振り返っている。そのうえで未来を考える。
  • 行き当たりばったり派。あまり振り返らない。今を普通に生きながらふと昔を思い出す。改めて振り返りの場を作るのではなく、今の出来事と昔の出来事が出会う瞬間に振り返る。
  • ドラマなどでいいな、と思った言葉をリストアップすることがある。そのリストを見て振り返ったりする。「マイ・ディア・ミスター」という韓国ドラマのセリフ。「恵まれてるからいい人になれるのよ」とか。
  • これからがキックオフなのよ、と言われた。「蹴る」が個人的には12月のワード。今年一年は是々非々でやってきた。「行き当たりバッチリ」という言葉も好き。「互助会」という言葉もいいな、と思う。
  • 今年の私は桃太郎だった。来年は浦島太郎になりたい。ご褒美は最後に欲しいのに、桃太郎であっても最後に宝物取れないとか、苦労だけで終わったらどうしよう…とかも思った。
  • 「卵」値上がりが印象的。昔は100円があたりまえだと思ってたけど、あたりまえじゃないんだな、と。
  • 「自己解放」。今までいろいろ大変なことがあったが、今年は平穏だったので自分のしたいことができた年だった。今まで家族のために生きた時間が長すぎて、落ち着かなさもあったけれど。
  • 「現状保全」。家や自分の身体を。自分がかんばれた年は振り返れるけど、凪が続くと振り返れない。怖い。アニメ「葬送のフリーレン」いつもせつなくて泣いちゃう。追憶。自分はフリーレンにならず、気が付いた時には動かないと、と思う。なんでもやっておかないと。
  • 「限界突破」。「試行錯誤」。 子どもが音楽教室の難しいコースに進むかどうか、親の選択にまかされて悩んだ。一方で別の家族の悩みもあり、自分の仕事も休んで、諸々の問題に取り組んだ。支える側の苦しみをあじわい限界を試され、試行錯誤した。…よくがんばった。
  • 「時代反復」。中島みゆき「時代」「ファイト」を聞いて泣いては助けられている。宝塚も好き。音楽、エンタメ系は人生で大きな存在。
  • 「自己解放」。その前に精神と経済と現実が崩壊して現在に至った…。
  • 「満身創意」。ブログでお話を書き続けた一年。創る度に世界が一つ出来上がるのが楽しい。
  • 愛別離苦」。パートナーの父が亡くなり、それを感じた。愛した分だけ別れは辛いが、なぜ私たちはそうしているのか…。自分の時はどう思うのだろう。なぜその苦しみがあるのだろう、と考える。
  • 「漫然徘徊」。目的をもたずにぶらぶらしていた。コロナ五類になってから出かけることは増えた。リアル、ネット、共に。
  • 「脱免罪符」。家族や仕事という免罪符から離れて、無価値でもやりたいことと向き合いたい。
  • (参加者『免罪符』に興味津々。罪悪感についても話が広がる)
  • キリスト教的には原罪があるので、手っ取り早く免罪符を買って、なかったことにするシステムだった。
  • やらない理由=免罪符。そういう意図
  • 努力したくないけど罪と向き合いたくないから免罪符を買う。
  • 罪悪感を感じないようにするため。
  • 免罪符を持っている自分への罪悪感もあるので、「脱免罪符」と思う。罪を見つめ続けるぞ、という思いもある。
  • 罪悪感は多すぎるとつぶれてしまうけど、ある程度もっていると共感もできるし、自分を振り返ることもできる。まったく持っていないと虚無的になるのでは。
  • 罪悪感をもたずに振り返ることはできる?振り返りは感情とセット?
  • 罪悪感をもたなくても改善案にもっていけばいいのでは。
  • ある程度罪悪感がないと改善へのエネルギーも出ない。「ほどよい罪悪感」が必要?
  • 仕事のミス的な日常的な失敗程度のことは「罪悪感」とまではあまり思わない。罪の意識、というところまではいかない。自分にとっての「振り返り」は、良い悪いというより、何が今年一年であったかな、と考えるくらいの感じ。
  • そもそも罪悪感はどこからくるのか。ルールでとらわれている部分もあるのでは?
  • 昔の失敗を思い出して悪かったなーと思った時、心の中で謝って終わりにする。罪悪感が多すぎると改善の方にエネルギーが向かない。 重い荷物を持ったままでは軽やかに前に進めないのでは。
  • ほどほどの罪悪感があるから次に行ける。気を付ける。ゆるしてもらった経験からも自分に寛容や共感も生まれる。
  • 失敗したな…と思うと落ち込む。罪悪感は重くてしんどい。限界まで落ち込むと開き直って別のことを始める。罪悪感はなくならないが薄まる。それにずっととらわれるのにも限界がある。
  • 罪悪感をもちすぎると自分が崩壊する。親から埋め込まれた罪悪感もあって、子どもの頃は親をかわいそうと思っていたが、実際の親はそんなに弱くなかった。

☆ここから後半

  • ありがたかったなーと思う方が多い。悪かったなーと思ったら、許してもらってありがたいと思う。振り返りは感謝中心。
  • 振り返る時は達成感をみている。どこまでできたかな、と。クリアできたことだけを見てると、ハードルが上がってくるので、小さくてもできたことを数えるようにする。ポジティヴに、来年もがんばれるように。
  • 聞いてもらって反応もらえるのはうれしい。「死ぬまでにしたい100のこと」をパートナーと話したら、相手もすごく話し出して気づけたことがいろいろあった。
  • 振り返る時はできてないことを見てしまう。欠落を並べて見るのが好き。欠落を愛でることもある。前向きなペシミスト
  • スケジュール帳には終わったこと、できたことしか書いてないけど、その中での発見も大きい。哲カフェに出て、他者視点で想像できるようになったりとか。発見は人生を豊かにする。時には危険を招くこともあるが。
  • 読書会や映画観賞会で、作品に触れずに参加する人もいる。それに驚いた。でもそういう人がいると知ると、人それぞれだなぁと学べる。
  • 振り返る人は、最初に目標を立てている人では? 振り返りと目標はセット。
  • 年末、年度末ではなく、自分のタイミングで振り返りたい。
  • 手帳の切り替えが10月なので、二か月かけて振り返り来年のことを考える。11、12月は個人的に忙しいこともあり。年始に計画をざっくり考えて年度末にまた考える。
  • 日記は書いているので、定期的にバックアップしている。コピぺしているだけだが数年の流れがわかり、なにかを発見することもある。
  • 振り返りしたことない。来年の希望はあっても検証はしていない。うまくいってないことを見たくないからか。消費はするけど消化はしない。

 

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11月25日『傷つく/傷つける/傷つけられる』について考える

11月25日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『傷つく/傷つける/傷つけられる』でした。

以下は当日の発言録です。

  • 大勢を救うことが大切なんじゃない、たった一人を傷つけないことが大事、と言われた。一方、誰の力も借りない、でも人とも関わらない、という人がいた。どちらも両極端な例だけれど、自分はどちらで生きればいいのか…
  • 人を傷つけずに生きていくことは可能なのか? 悪意をもって傷つけないようにはできるけど、受け手の問題もあるのでは。
  • そもそも、人を傷つけようとして傷つけられる? いじめるのが好きな人が誰かをいじめようとしても、受け手が気にしなければ傷つかない。自分の中に傷つく要素がない。要素があれば、自分で自分を傷つけているのでは。
  • 権威ある人は他者と対等ではない。権威の中に武器があるとも言える。そこに気を付けないといけないのでは。対等の意見の交換ではなくなる。
  • 権威のある側に悪意が無かったとしても、受け手が卑屈になっていて恐れていると勝手に傷つく場合もある。「一人でも傷つけたら」は「意図的に」が入るとアウト?
  • 対等な善意と力関係のある善意は違うのでは。傷つく背景に「善意」もあるのでは。縦に流れるか横に流れるか。
  • 上から助けてあげる、救ってあげる、という姿勢の嘘臭さに違和感。
  • 心身ぼろぼろな友人がいる。声をかけたいが、かけるとむしろ傷つく様子。なんとかしようとし合うと傷つけあうようなカタチになってしまう。一人で修復しなければいけない時がある。「かわいそう」と言われるのも傷つく。声をかけてはいけない時もある。
  • 自分がどれだけひどい状態かわからないことがある。それを外から指摘されると、さらに落ち込むこともあるのでは。カテゴライズされることで、自分の状態にびっくりするのは「傷つけられる」ということなのでは。
  • 3.11の時、被災地で、通りかかった車に「がんばろう」と書かれていて悲しくなった。傷ついたとも言えるかもしれない。カテゴライズされる悲しさ。
  • 権威にはパワーがある。人を助けるためには力が必要。たくさんの人を救えるならいいのでは。権威は利用すればいい。カテゴライズされたとしても弱者の立場を利用する。下から目線の強さがあればやっていける。
  • 対等な善意はない。うまく回っていけばいいのでは。
  • カテゴライズされて傷つく感情さえ起こらない状態がある。明日どう生きるか…そういうレベルでは傷つきようがない。「傷つく」というのは、まだ感情を感じられる状態にあるということ。励ましの声も耳に入らない。
  • 対等な善意があるとすれば、善をおこなう側に意図がない場合。
  • 状況をよく知らない人に勝手に決めつけられる時、傷つく。境界に侵入されている感じ。普通なのに「普通じゃない」と言われると壁を感じる。一方、ただ見守ってくれるのはうれしかった。
  • 修復しようとしているのに、外からあれこれ言われるとかえって壊れてしまう…
  • 人を傷つけない代わり、誰とも関わらないような人にはなりたくないと思っていた。同情するのは失礼だという人もあるが、されたい場合もある。
  • 「傷つける」に関する自分の基準がある。傷つく強度の基準が人と違うことに年を重ねてからやっと気づいた。気づいてからは人と触れ合うことに腰が引けるようになった。だから人を遠ざけるかというと、そうはなりたくない。これからもやりすぎるかもしれないけど、人と付き合っていきたい。
  • 自分の価値観が相手を傷つけたと知った時、自分が傷ついた。相手に寄り添えないショック。他人軸になるとわからないことばかりでしんどくなるので自分軸で、自分で自分をしあわせにしたい。
  • 一番傷つけくのは、自分で自分を傷つける時。自分を自分が一番批判している。
  • 傷つくときには必ずしも相手がいない。やはり自分が自分を一番傷つけている。今までで一番落ち込んだ時もそうだった。それがわかるまで時間がかかった。
  • 人を救う仕事には権威がいる。でもそれはビジネス。権威ある立場にあるだけで善意があるわけではない。善意で人を救う人ではない。
  • 人を傷つける時、相手が傷ついたかどうかわかりづらい。自分自身が傷ついた時も相手は気づいていない。だから指摘して話し合うこともあるが少ない。流してしまうことのほうが多い。傷ついたことを言わない人の方が多く、よくない方向に行くこともあるのでは。ただ、謝罪や話し合いをしても、相手の傷ついた感情は消えない。それは知っておきたいし、相手にも伝えたい。
  • 自分が深く傷ついた場合は相手に伝えなければと思うし、近い関係の人にも伝えなければと思う。
  • 「傷つく」というのは、どこが傷つくのか? イラつく、腹が立つのは傷つくとは違う。誰かに期待していたのに裏切られた場合、期待という形のないものが壊された時に傷つく? そうするとそもそも傷をつけられる実体がないのでは?
  • 傷つくのは仕方ない。別の関係性の中で生かせればいいのでは。
  • 以前、社会的なアイデンティティが一時的に消えた時、どうなるのかと思った。でも内側にはなにかが残っていて、それに支えられていた。自分の価値観に自分で疑いをもった時に苦しむ。
  • 相手を本当に助けたかったら、傷つけるとか傷つけないとかを超えて、真心で行動し信頼を得ればいいのでは。
  • 傷つくというのは痛みを感じること。感じない人はいないのでは。だから傷つかない人はいない。信頼関係があれば、傷つけても修復はできる。何も言わないというテもある。吟味する時間をもつとか。長い付き合い以外の人には言わないようにしている。
  • 傷つくと壊れるは違う。傷つくと壊れるのボーダーを意識した方がよいのでは。
  • 大切な人には傷つく傷つかないを超えて手を出したい。そうでもない人には言わない。すぐに傷ついたと言う人もいるが、本当に傷ついているかどうかの判別は難しい。
  • 人に「傷ついた」と言われ、その理由を「あなたと友達になりたいから」と、延々と聞かされたことがある。今もなかよしでいる。伝えるのは誠意。エネルギーのいることなのに。感謝している。
  • 故意に傷つける人について。痛みを感じたくなくて防御方法を知っているので逆に傷つけてくるのでは。でも、された側は意外と傷つかない。
  • 年齢の話で自虐的に話したら、妹から「傷ついた」と言われ、傷ついたのは妹のせいだと思った。傷つくのは受け取り手の問題。
  • 傷ついたから謝ってよ、と言われた時、安易に謝るのはどうかと思う。「誤解を与えたのなら…」というのも、どうかと思う。今後どう付き合っていきたいのかでも変わる。
  • 悪意で「傷つけられた」場合、どうするか。相手に傷つけられた理由はあえて説明はしない。相手を成長させない。真心で向き合う気はない。
  • ネガティヴプレジャーというのがいる。わるいことをしてでも構って欲しい人。すごく鬱陶しいけど構わないのが一番の復讐。
  • 傷つくってそんなに悪いこと? それでなにかがわかるはず。これを機会に変わろうと。
  • 子供の頃にみたアニメ映画「親子ねずみの冒険」。親子ねずみが苦労して最後には幸せになるお話。子ねずみが意地悪をしたオジサンねずみに対して「おじさんも幸せになってね」と可愛い声で言う。子ねずみも傷ついて苦労したのに相手にそれを言うことができる。それを言うことによって自分を修復できる?
  • 傷つくのは受け手の問題だとわかってるからこそ、傷つく方は辛い。メンタルが弱いからだ…と。二重に苦しい。相手に言えない。それで追い込まれて鬱になったり…。病気扱いにされたり。傷つく方に問題があるという風潮に生き辛さを感じている。
  • 傷ついてる人が悪いんじゃない。問題は、そこからネガティブプレジャーになったりすること。傷つきやすい人は、感受性が強くて優しい人。
  • 感じやすさもひとつの個性。強くなれというのもどうか…。
  • 「傷ついた」と表明して、相手にわかるまで説明できる人は強い。むしろ、傷つくのを恐れて流してしまう人の方が弱い。

 

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11月25日のテーマ : 傷つく/傷つける/傷つけられる

日 時:      11月25日(土)13時30分~15時30分

テーマ:       傷つく/傷つける/傷つけられる

百人を救っても一人を傷つけたら、そこでお終いなのでしょうか。
人を傷つけるくらいなら一人で生きていくことを選びますか?
「傷つく/傷つける/傷つけられる」とはどういうことか、考えてみませんか。

 定 員:     20名

参加を希望される方は「staff★nagotetsu.sakura.ne.jp(★を@に変換してください)」までメールでご連絡ください。

 

9月23日 『毒で身を守れるか?』について考える

9月23日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『毒で身を守れるか?』でした。

以下は当日の発言録です。

夢野久作 きのこ会議

を読んでの対話。

 

☆前半

小説を読んで、どの茸の立場に立ちたいかを話し合う。

 

  • 松茸。理屈が通らないことに憤っている。合理的でないと怒っているのが自分と似ていて共感。
  • 松茸が話せたら、人間にその旨を訴える。
  • 椎茸。功利主義。こうすればうまくいくなら、その道を行く。周囲の支援が受けられると楽に生きられる。
  • 椎茸で成功したい。
  • 共感できるのは毒茸。毒竹の中でも主流ではなく、傍流でワイワイ言ってる方。傘が開く前に松の影に隠れて生き残る松茸。椎茸は楽だけど、イメージが会社員。あまり魅力を感じない。毒きのこは起業家のイメージ。自由で楽しそうだけどリスキー。松茸は少数派だけど生き残れそうな気がする。
  • 椎茸は公共の利益を考えなければならないとすると、椎茸はラクではないのでは?
  • 椎茸。命のリレーをしているところに共感。以前、ビーガンだったが、体調を崩して、動物性たんぱく質も必要だと知って驚いた。
  • 毒は、自由に生きたいという気持ちを止めてしまうので悪だと思う。だから好きじゃない。
  • 椎茸的存在で、組織で生きていくのは理想。でも今はフリーランスで悲しい。公務員的生き方は憧れ。自分が危機に陥っても助けてもらえそう。
  • 人に危害を与えていいことは一つもない。人に嫌われる人生はいやなのに毒茸と思われていたことがあった。
  • 毒は他人の命を奪う、という意見を聞いて、そこまでは考えていなかった。毒茸の端っこがいいのは、責任逃れしながらも毒茸の仲間でいたいという感じ。善良ぶってる方がほんとは怖い。
  • 毒茸。現在は椎茸だけど、人に利用されてる感が多いと、いやになる。毒茸の、誰にも忖度しないで身一つで生きていくところに共感する。
  • 毒茸は本当に命を奪う。身を守るためにそこまでするのか?だから毒茸には共感できない。
  • 人間は茸にとっては抗えない神さまみたいなもの。その前でどう生きるか、というきのこ会議だと思う。だから無難な生き方を選択した方がいいのでは、と。圧倒的非力な存在でありながら生き延びるためにはどうすれば、と考えると、やはり椎茸かと。
  • 毒茸は胞子も飛ばせるので、踏み荒らされて全滅せず生き延びることができるのでは。
  • でも人間はその一帯を焼き払って滅ぼせるかも…
  • 毒茸に魅力を感じる。毒茸の生き方は「関わらない」生き方。悩みは人と関わるから。それを捨てて孤高に生きてるのが毒茸のかっこよさ。
  • 毒茸は本当に役に立ってないのか?もしかして役に立つ成分があるかも?そうすると長期的に見た時、絶対わるいとは言い切れないのでは。
  • サバイバル的な意味では、見た目はおだやかであまり美味しくなさそうなきのこが一番生き残りそう。クセのない一般大衆みたいな存在かもだけど、リスクは低い。
  • 人間のニーズに合えば、役に立つ茸。毒茸もビジュアル的に価値がある、とされることもあるかも。神さまに気に入られたいが、なかなか難しい。どれも安定ではない。
  • 人間のいない世界だとしても、小動物や昆虫が茸を食べる。茸は役に立つからサバイバルしなきゃいけない。毒をもつしかないのか…。
  • 松茸。合理性を求めて頭でっかちなので、実生活に弱い…。希少価値という点でプライドは保てるかも。
  • 松茸、美味しいというのは日本人だけ?外国の人は微妙な顔をしてむずかしい味、と言った。靴下の匂い? でも日本ではメインディッシュになるのは松茸だけ。
  • 希少価値がある。松茸は飼育できないから、秘密のきのこ山を大事にしているお爺さんがいる。そのお爺さんが秘密を話さないまま亡くなったら、その松茸は生き残れる。希少価値だから生き残る可能性が上がる。

 

☆後半。

☆フリートーク

  • 最初の印象はわるいけど、いい人ということはある。でも他者を危機に陥れる感じがあるのはよくない。善良なオーラはまとっていた方がいい。人に圧を与えるのはよくないのでは。
  • 毒を出していそうな人がいると、面白そうで近づいてしまう…。意図的に出す毒はたいしたことない。でも根深そうなものは、よほどなにかあるのだろうと。草間彌生の創るきのこはスゴイ。そうせざるを得ない者を抱えている表現だな、と。
  • 毒茸でも、なんとかして食べようと果敢に挑戦する人もいる。すごいなぁ…と。
  • 岡本太郎の言葉「心の中に毒をもて」からのイメージ。たとえ実戦に使えない技でも、それを自分は持っていると知っているだけで強い気持ちで戦える。そういう毒の使い方は身を守ることになるかも。
  • 自分が毒茸になって身を守ったことがある。狂気をはらんだ人と対決しなければならない時。勝つためには、それ以上の狂気をかもすしかない。
  • 毒をもって毒を制す、は有効。それが有効なのは相手と短期的な関係の時。相手の力量を見極めている時。そうでないと毒が返ってきてしまう。怖い顔をしていると自分を守れるかもしれないけれど、人とも親しくなりにくいデメリットがある。
  • まったく毒のない人がいた。誰のことも拒絶しない。結局、その人の周りは極悪人ばかりに…。その人は、選別しないで従順で受け身。人を選ばなすぎる。少しは毒を持てば?と思う。あまりに無毒だと周囲に害を及ぼす。
  • 人を支配しようとする毒と、自分のことは自分で守る毒とに分かれるのか。
  • 狂気とか、DNAに潜んでいるものとか。意図しない毒。生まれつき体の中にあるような。そういうものに魅力を感じる。
  • 人を支配しようとする毒と、自分のことは自分で守る毒は通じあうものがある。攻撃は最大の防御とも言う。それでも力量をみきわめるのは大切。
  • 「カエルとサソリ」というお話がある。 カエルが川を渡るために、サソリの背中に乗せてもらう。刺さないよと言ったのに、つい刺してしまったサソリ。サソリは「それがぼくだから」と言った…。サソリの性(サガ)…。
  • 性(サガ)、狂気はかっこよさもあるが、相手を威圧するようなやり方は、その人の弱さを感じる。毒にも、憧れるものとそうじゃないものがある。
  • サソリは毒をコントロールできなかった。毒はコントロールできて初めて使える。サガに負けると使えない。
  • ホワイトハッカーハッカーができる人にしかハッカーには対抗できない。
  • 部下の何人かに毒を仕込んで、いざという時、その部下を使うような「使い手」がいたらすごい。
  • 毒=武器。泣き落としをする毒とか、土下座する毒。みたいなものもあるのかも。使う相手によっては空振りするかも…
  • 毒を使う人は弱いけど頭がいいイメージ。知識も毒になることがある。そこもコントロール。把握できて使いこなせて初めて毒は武器になる。
  • 不条理ないじめを受けていた人が、「悪に惹かれる」と言っていて、ずっと意味がわからなかったが「相手がなぜそんなひどいことをするのか想像できないので、その部分が想像できたら制御できるようになる」という意味だったのではないかと。
  • わからないものには惹かれる。知ることは、リスク回避のひとつでもある。
  • 意図的に毒を使う人は、耐性をつけるために、あえて毒を摂取することもある。
  • 酸素も最初は毒だった。なくては生きていけないけど。毒と薬のちがいはあいまい。

 

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9月23日のテーマ : 毒で身を守れるか

日 時:      9月23日(土)13時30分~15時30分

テーマ:       毒で身を守れるか

夢野久作の『きのこ会議』には、自分の身を守るために毒を持つべきと主張する毒キノコが登場します。
その考え方と結末についてどう思うのか、各々の意見を交わしませんか?
青空文庫にテキストがあります。当日までに読んできてください。

www.aozora.gr.jp

 定 員:     20名

参加を希望される方は「staff★nagotetsu.sakura.ne.jp(★を@に変換してください)」までメールでご連絡ください。

 

8月26日 『人は見た目が〇割?』について考える

8月26日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『人は見た目が〇割?』でした。

以下は当日の発言録です。

  • 〇割と書かれていたのが面白かった。希望的観測を入れると個人的には「五割」かな、と。中身と見た目の境目や影響も気になる。
  • 「人は見た目が9割」は意外と妥当な線なのでは? 99%の努力と1%の才能、という言葉がある。昔のマンガで、99%は努力と自分に言い聞かせている地味な主人公に対し、天才型のキャラが「残りの1%が大事」と言っていた。見た目が9割でも、残りの1割で勝負できるかどうかだと思う。
  • 「きれいをつくる」という言い方が最近ある。とすると、見た目は作為的に作れる。人間は戦略的に行動できるから、9割くらい創り上げることができるのでは。ちなみに、自分は目がわるいのでよく見えない。とするとどこで判断している?
  • 挨拶の仕方でも見た目の印象は変わる気がする。暗い見た目の人も、挨拶した時にきちんと挨拶を返してくれると印象はよくなる。逆に自分に挨拶してくれないような人は、外見がよくても印象はよくない。
  • 人は十割見た目のところもあるのかも。宝塚の面接の一次審査は見た目で決まる。
  • すべての印象を10としたら、見た目以外のものにはなにがあるのだろう。1.5割くらいが見た目かな。それ以外が8.5。
  • 見た目は「私」という主体が他者にどんなイメージを与えるか。残りの一割は相手方の都合。主体で考えると見た目が100%なんだけど、相手がどういう人かで変わるところがある。
  • 見た目の判断には社会規範のようなものもある。集団のバイアス。共同妄想?
  • 男性からのいやがらせから守るために髪をショートにしてメッシュを入れた知人がいた。おとなしそうに見せないため。見た目はそういうところでも影響がある。
  • 目で物事を判断するのは本能の部分?だから見た目で単純に判断してしまう。ある意味愚かな判断…。人間なら、もっと深く観なければいけないのでは。話す内容を分析して判断するとか。そういうのができる人は人間度が高い。
  • 見ているようで、感じている部分が多いのでは。「見た感じ」とか。見た目〇割と言いきれない。見た目のイメージを超えるものはよくある。見えない部分にこそ、その人の魅力が隠れている。子どもは、見てないところを見て警戒することがある。逆になんとなくいい人そう…と感じる人には近づいたり。
  • 妊婦時代は人から親切にされた気がするが、ベビーカー時代になると、避けられる感じがした。ベビーカーあるなしで変わる。
  • 見た目で100%まず判断されるけど、話し始めると少しずつその割合が減っていくのでは。他の要素が加わってくるから。
  • 見た目が9割だけど、見た目には表現できない自分が1割ある(本質)。今の自分も、体力に余裕があれば、演出でルックスも変える。でも演出とはちがう自分も1割くらいあるのでは…と感じる。若い頃は自分の本質に近いルックスをキープしようとしてたけど。
  • 若い頃、ゆるふわでガーリーなファッションが多かったが攻撃はされなかった。攻撃されるのは見た目の問題だけではないのでは。ただ、その時のファッションは本質を反映していなかったかも。本質と好みは別もの。見た目で判断されてもさほど気にならない。
  • レイ・ブラッドベリの小説「たんぽぽのお酒」のエピソード。30代くらいの男性が、古い写真の女性に恋をする。実際は100歳くらいのおばあさんだったが実際に会うと魅力的な女性だったので毎日通ってお話した。ある時、目を細めてみたときに、おばあさんの中に美しい白鳥のような、昔の写真の面影を見た。男性は、おばあさんの内面と、写真の面影を重ねて豊かな時間を過ごした。本質と見た目はいつもぴったり重なっているとは限らない。だから見た目は何割か、は全くわからない。全然違うかもしれない、という気持ちで見ないといけない。
  • 自衛官の川柳に、「制服でホレられ私服ですぐフラれ」というのがあったのを思い出しました。
  • 第一印象は見た目だけという話もあったが、以前付き合っていた人の見た目は、好感はもっていたがイケメンというわけではなかった。でもある日、彼が制服を着た時、見た目の印象が高くなった。あとからでも見た目の印象はUPすることがある…。
  • 喪服を着るとおとなしい自分になる…。晴れ着はまた逆。
  • 見た目で判断されるのがなぜ不快か?について。ステレオタイプで先入観で判断されて押し付けられたことを受け入れなきゃいけないのがイヤだし苦しい。他者は単純に判断したがる。見た目じゃないところで判断することは大事。
  • 整形する人は、見た目を変えることで運命を変えたがっている。見ているとその切実さを感じる。見た目は与えられた運命。それを変えようとするひたむきさが人を感動させることもある。
  • 人から押し付けられる部分もあるけど、自分で「こういう見た目だから」と思っている部分もある。最近、女性でもメンズカットが流行っているらしい。切った後、男の子っぽくなり解放されている。今まで出せていなかった部分を出せている感じ。
  • 校則などで決められた見た目は生徒を管理するため。制服は親の都合もあるかも。でもその決められた中で個性を出そうとする子どももいた。そこは本質と関係してくるのかな、と。
  • 若い時はいろいろ盛ったりするが、盛った自分に自分の本質が追い付いていない、それが年をとると気持ち悪いと感じる。見た目に騙されるというのは、発達していない脳だから…。年をとると、盛られてなくてもちゃんとわかるようになる。
  • 最近コンタクトレンズをやめた。カラートリートメントもやめるつもり。自分自身が見た目にこだわらなくなったから。キレイな人は目を楽しませてくれてありがとう、くらいの感覚。結局、見た目で判断するのは無理だから、聞いてみないとわからないという面白さがある。
  • 見た目がきらい…というのは、どうしてもある。お付き合いする相手として。
  • 見た目だけでどうしても無理、は、若いころはあったかも。年齢を重ねると気にならなくなる? ホルモンの問題?
  • 見た目でイヤっていうのはあるか?という質問で、衛生的に問題ある方に対しては、構えてしまう。
  • 不衛生なのはやっぱりいや…。同性でも衛生的でないと違和感を感じる。
  • 美し過ぎる人々を見ると、その集団には入れない…と思う。それは不衛生の人はイヤ、というのとは真逆なんだけれど。
  • 服装は階級を表す。女性雑誌を見ても、見えざる階級を象徴している。ファッションはその人のプライド、アンデンティティを表している。みすぼらしくしていると、やはりみすぼらしい運命になるのかも…住む地域、選ぶ学校などもそうなのかも。
  • 学生時代に友人だったお嬢様たちは、ブランド品も持たず、地味な身なりだったので、こちらも意識せずにふつうに友達として付き合っていた。意外と本物のお嬢様の方が、ステレオタイプ的なお嬢様の外見をしていない。
  • 本物には揺るがないものがあるのでは。
  • 本質がしっかりしている人ほど見た目に頼らない。そうでない人の方が見た目に頼る。若い人は、自分がわかっていないから、まず見た目を変えて、本質をそちらに向かわせようとしている。
  • 見た目は変化していく。本質は変わらない部分もある。若い頃から見た目と本質が混在したまま年をとると、見た目が衰えるとともに、本質も衰えていきそう。だから若いうちに本質をつかまえておかないと困るのでは。
  • 外見=アイデンティティにできるのは刹那的なものかも。
  • 本質は固定されたものではない気もする。若い時は自分がわからないから外見に引っ張られたり流行に乗る。流行が去った時、違和感が残った。年代、時代に合わせて本質も柔軟に変えていく方が、自信やエネルギー、ゆるぎなさ、心棒が持続できるのかも。
  • 本質は変わる。性転換手術の後に元に戻したいという人もいる。変わる人もいる。
  • 人を見た目でかなり判断する。見た目はその人が選択できる部分で、見た目はその人の選択の集合だから。だから自分は判断の上でかなり見た目にウエイトを置いている。
  • シャーロック・ホームズも見た目に表れている部分でかなり推理する。正確や家族構成まで。
  • その時、その時に選択している自分が自分なんだろう。
  • ある障碍をもった息子が差別されるのでは、と怖かった。ルックスが運命を左右するから。自分自身も、そういう人に対して差別をしない、とは必ずしも言いきれない。
  • 障碍と呼ばれるものを個性だと自分で言いきれる強さがあるかどうか。残酷だけど変えられない運命もある。変えられる部分を変えようとする努力が大事では…。 また、大谷選手がすごいけど、そんな人と同一化したくて努力するのもあり方のひとつ。そういう生き方を選ぶという「本質」もある。流行を追うような生き方もまた。
  • 障碍に対してフラットでいられるか。フラットではなければならないという歪みがあるのでは。また、見た目で生理的にダメ!は意外と少なくても、話し方でダメ!という人はいる。そこは変えられるものなのか…
  • 自分の意見を上から押し付ける人がだめ。顔を見るのもいやになる。
  • 立場によって、相手への感覚が変わることがある。
  • 誰がかっこいい、わるい、美しい、美しくないと決めているのか?テレビなどに出てくる人が美しいのだ、と刷り込まれている。メディアが仕組んで踊らされている。周りから押し付けられた価値観。差別や偏見が多いのでは。

 

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