おなごテツ

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1月28日(土):守りたい/守られたい

1月28日に行われた「おなごテツ」のテーマは、「守りたい/守られたい」でした。以下は当日の発言録です。

●守られたいという言葉には違和感がある。それは守り方に抵抗があることがあるから。大切にはされたいけれど。

●誰に守られたいか、誰を守りたいか、対象に問題がある。関係性のよくない相手にはあまり気持ちが向かない。

●相手の自尊心を奪うこともある。「君を守る」という言葉はいいことなのか?

●守る側が上という考え方は刷り込みではないか。例えば赤ちゃんを守る母親は上下の感覚が無いのでは? 守られている方が上のケースもある。

●守る/守られるがエネルギー的に同じなら上下関係はない。

●災害時に訓練された消防士や自衛隊の男性が来ると素直に尊敬を感じた。

●「何を守るか」も重要。命を守るというのは最高レベルの行為かと。

●両方が守る側の人間が向かい合えば、ちょうどいい。理想としては一対一の上下関係なしに成立するのでは。

●「命」に関わるような虐待などには、「守りたい」という気持ちが生まれる。

●弱いものを「守りたい」きもちは、人間の根本的な気持ちかもしれないが、「守られたい」に違和感を覚えるのは、コントロールされるのではという反発心から生まれるのかも。

●日常の瑣事においても、サポートのし合いにおいて、守る、守られる、という関係性はある。

●守られる側の心が気になる。自尊心や自信を損なわないか?DVやモラハラにつながらないか? これは「守る」のエスカレートした形では。サポートも過剰になると暴力になる。

●守られている時、なにかが減っている。力を削がれるような。

●守りたい側に所有欲があるのでは。相手の為ではなく、自分が確保しておきたいが故の守りたい、では。

●守りたかった夫も、守られたい妻の方に過剰にエネルギーがあるとうまくいかない。

●「かわいい」という言葉を欲する女の子がいるのは、より守られたい(優遇されたい)からか?

●守りたい/守られたいというのは、今の時代と合っていない考え方。女性が社会的にお金を稼ぎにくい時代のこと。でも現代では女性も働くし男女平等。

●自立していない同士では「守る」ことはできない。自分のことは自分で守れないと。若い子を守りたがる男性は、承認欲求もあるかもしれない。

●女性の方は、多分「これだけ尽くして守ってもらえる私はすごい」って承認欲求を満たしているだけでは。相手への感謝ではなくベクトルが自分に向いている。

共依存の夫婦は幸せなのでは。高齢の夫婦には自立とかいう概念がなく、共依存で暮らしているように見える。

●力のないものが虐待されるなど、理不尽さへの嫌悪や公平さへの希求が人にはある。その気持ちを信じたい。お互いが相手の尊厳を守るというあり方が理想。

●守られ過ぎると力を失う。ゆえに、その「守りたい」圧をはねのけたくなる。

●守られることが少なく、否応なしに会得した力は役に立つ。

●女性同士は守り/守られる、という関係性もうまくいきやすい気がする。一方が男性の場合、男性のヒーロー願望、女性のお姫様願望が下敷きにあり、関係がいびつになりやすい。

●「守り方」によっては、本能的にゆるせないことがある。

●命を守るのはいいけど、多くの「守る」は異常行動なのでは?

●「守りたい」は余計なお世話か。

●「守る」は、生きるとか自立するとかとも繋がると思う。

●自由を代償に差し出さなければいけない「守られ方」は一番イヤ。親から言われるとしても。考える自由さえ奪うようなやり方に反発する。

●見返りを差し出さなくていいなら、守られるのもOKかもしれない。

●地球を守りましょう、に違和感がある。地球に守ってもらっているのにおこがましい。

●人類がいない方が地球は守られるかも。

●守られる側はなにを求めているか?なにから守られるという想定か?

●守られていることにステイタスがあるのでは。お姫様願望や幸福そうに見られたい願望があるのでは。その人に価値があるかのように。

●安心・安全は人の大きなニーズ。守ってほしい、の根拠。

●身の危険を感じた時、神さまに守ってほしいと祈った。究極に守ってほしい対象は「神」か?

●神頼みしかない時もある。神に守ってもらっても助けてもらってもイヤではない。

●神に愛される人になる努力はしようと思う

●「利他」の意識をもつ=守る。

●日常のささやかなことで「守る/守られる」は自然にやっている。

●立場として「守る」側に立っていいのは神様だけだろうか?

●自分の中に神様がいる、という立場。オールセルフ。自分を守るという意識は大事。

●愛情を注がれて育たないと愛情の注ぎ方がわからなくなる。きちんと守られないと、守り方も守られ方もわからなくなる。

●小さい時に「守られている」感覚で育てられていないと、弱者を守るという心が育たないという面もあるのでは。エゴイスティックな親になる。そして子どもにも連鎖する。

●守られた時、相手がなにかを犠牲にしていると辛い。罪悪感を感じる。

●ごく普通のことであっても「守られていたんだ」と気づく、わかることがある。世界の大半はそのように機能しているのではないか。

●「してもらって当たり前」の物量が多い人が意外と存在することにびっくりする。

●守る/守られる、は関係性で生じる。需要と供給のバランス?愛すると愛されるにも近い?

固定観念では、愛するのは男。愛されるのは女。そこにひずみが生じている現代。歴史上はじめて可視化されているのでは。

●自分でまず自分を守れないと相手も守れない。