9月23日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『毒で身を守れるか?』でした。
以下は当日の発言録です。
を読んでの対話。
☆前半
小説を読んで、どの茸の立場に立ちたいかを話し合う。
- 松茸。理屈が通らないことに憤っている。合理的でないと怒っているのが自分と似ていて共感。
- 松茸が話せたら、人間にその旨を訴える。
- 椎茸。功利主義。こうすればうまくいくなら、その道を行く。周囲の支援が受けられると楽に生きられる。
- 椎茸で成功したい。
- 共感できるのは毒茸。毒竹の中でも主流ではなく、傍流でワイワイ言ってる方。傘が開く前に松の影に隠れて生き残る松茸。椎茸は楽だけど、イメージが会社員。あまり魅力を感じない。毒きのこは起業家のイメージ。自由で楽しそうだけどリスキー。松茸は少数派だけど生き残れそうな気がする。
- 椎茸は公共の利益を考えなければならないとすると、椎茸はラクではないのでは?
- 椎茸。命のリレーをしているところに共感。以前、ビーガンだったが、体調を崩して、動物性たんぱく質も必要だと知って驚いた。
- 毒は、自由に生きたいという気持ちを止めてしまうので悪だと思う。だから好きじゃない。
- 椎茸的存在で、組織で生きていくのは理想。でも今はフリーランスで悲しい。公務員的生き方は憧れ。自分が危機に陥っても助けてもらえそう。
- 人に危害を与えていいことは一つもない。人に嫌われる人生はいやなのに毒茸と思われていたことがあった。
- 毒は他人の命を奪う、という意見を聞いて、そこまでは考えていなかった。毒茸の端っこがいいのは、責任逃れしながらも毒茸の仲間でいたいという感じ。善良ぶってる方がほんとは怖い。
- 毒茸。現在は椎茸だけど、人に利用されてる感が多いと、いやになる。毒茸の、誰にも忖度しないで身一つで生きていくところに共感する。
- 毒茸は本当に命を奪う。身を守るためにそこまでするのか?だから毒茸には共感できない。
- 人間は茸にとっては抗えない神さまみたいなもの。その前でどう生きるか、というきのこ会議だと思う。だから無難な生き方を選択した方がいいのでは、と。圧倒的非力な存在でありながら生き延びるためにはどうすれば、と考えると、やはり椎茸かと。
- 毒茸は胞子も飛ばせるので、踏み荒らされて全滅せず生き延びることができるのでは。
- でも人間はその一帯を焼き払って滅ぼせるかも…
- 毒茸に魅力を感じる。毒茸の生き方は「関わらない」生き方。悩みは人と関わるから。それを捨てて孤高に生きてるのが毒茸のかっこよさ。
- 毒茸は本当に役に立ってないのか?もしかして役に立つ成分があるかも?そうすると長期的に見た時、絶対わるいとは言い切れないのでは。
- サバイバル的な意味では、見た目はおだやかであまり美味しくなさそうなきのこが一番生き残りそう。クセのない一般大衆みたいな存在かもだけど、リスクは低い。
- 人間のニーズに合えば、役に立つ茸。毒茸もビジュアル的に価値がある、とされることもあるかも。神さまに気に入られたいが、なかなか難しい。どれも安定ではない。
- 人間のいない世界だとしても、小動物や昆虫が茸を食べる。茸は役に立つからサバイバルしなきゃいけない。毒をもつしかないのか…。
- 松茸。合理性を求めて頭でっかちなので、実生活に弱い…。希少価値という点でプライドは保てるかも。
- 松茸、美味しいというのは日本人だけ?外国の人は微妙な顔をしてむずかしい味、と言った。靴下の匂い? でも日本ではメインディッシュになるのは松茸だけ。
- 希少価値がある。松茸は飼育できないから、秘密のきのこ山を大事にしているお爺さんがいる。そのお爺さんが秘密を話さないまま亡くなったら、その松茸は生き残れる。希少価値だから生き残る可能性が上がる。
☆後半。
☆フリートーク☆
- 最初の印象はわるいけど、いい人ということはある。でも他者を危機に陥れる感じがあるのはよくない。善良なオーラはまとっていた方がいい。人に圧を与えるのはよくないのでは。
- 毒を出していそうな人がいると、面白そうで近づいてしまう…。意図的に出す毒はたいしたことない。でも根深そうなものは、よほどなにかあるのだろうと。草間彌生の創るきのこはスゴイ。そうせざるを得ない者を抱えている表現だな、と。
- 毒茸でも、なんとかして食べようと果敢に挑戦する人もいる。すごいなぁ…と。
- 岡本太郎の言葉「心の中に毒をもて」からのイメージ。たとえ実戦に使えない技でも、それを自分は持っていると知っているだけで強い気持ちで戦える。そういう毒の使い方は身を守ることになるかも。
- 自分が毒茸になって身を守ったことがある。狂気をはらんだ人と対決しなければならない時。勝つためには、それ以上の狂気をかもすしかない。
- 毒をもって毒を制す、は有効。それが有効なのは相手と短期的な関係の時。相手の力量を見極めている時。そうでないと毒が返ってきてしまう。怖い顔をしていると自分を守れるかもしれないけれど、人とも親しくなりにくいデメリットがある。
- まったく毒のない人がいた。誰のことも拒絶しない。結局、その人の周りは極悪人ばかりに…。その人は、選別しないで従順で受け身。人を選ばなすぎる。少しは毒を持てば?と思う。あまりに無毒だと周囲に害を及ぼす。
- 人を支配しようとする毒と、自分のことは自分で守る毒とに分かれるのか。
- 狂気とか、DNAに潜んでいるものとか。意図しない毒。生まれつき体の中にあるような。そういうものに魅力を感じる。
- 人を支配しようとする毒と、自分のことは自分で守る毒は通じあうものがある。攻撃は最大の防御とも言う。それでも力量をみきわめるのは大切。
- 「カエルとサソリ」というお話がある。 カエルが川を渡るために、サソリの背中に乗せてもらう。刺さないよと言ったのに、つい刺してしまったサソリ。サソリは「それがぼくだから」と言った…。サソリの性(サガ)…。
- 性(サガ)、狂気はかっこよさもあるが、相手を威圧するようなやり方は、その人の弱さを感じる。毒にも、憧れるものとそうじゃないものがある。
- サソリは毒をコントロールできなかった。毒はコントロールできて初めて使える。サガに負けると使えない。
- ホワイトハッカー。ハッカーができる人にしかハッカーには対抗できない。
- 部下の何人かに毒を仕込んで、いざという時、その部下を使うような「使い手」がいたらすごい。
- 毒=武器。泣き落としをする毒とか、土下座する毒。みたいなものもあるのかも。使う相手によっては空振りするかも…
- 毒を使う人は弱いけど頭がいいイメージ。知識も毒になることがある。そこもコントロール。把握できて使いこなせて初めて毒は武器になる。
- 不条理ないじめを受けていた人が、「悪に惹かれる」と言っていて、ずっと意味がわからなかったが「相手がなぜそんなひどいことをするのか想像できないので、その部分が想像できたら制御できるようになる」という意味だったのではないかと。
- わからないものには惹かれる。知ることは、リスク回避のひとつでもある。
- 意図的に毒を使う人は、耐性をつけるために、あえて毒を摂取することもある。
- 酸素も最初は毒だった。なくては生きていけないけど。毒と薬のちがいはあいまい。
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