おなごテツ

女性限定哲学カフェ「おなごテツ」のホームページです。

7月22日:輪になって語ろう--ピース・メイキング・サークル--

今回は「ピース・メイキング・サークル」という手法を試してみました。
ネイティブ・アメリカンの風習から生まれた対話方法で、本来は焚火を囲んで輪になって座り、一人ずつ順番に語り、次の人に回していきます。

今回はオンラインなので、以下のルールで進めました。

  • 表示名の50音順で順番に回す(1回目はあ→わ、2回目はわ→あ)。
  • 前の人の話を受けても、受けなくても良い。
  • 話すことが思いつかなかった場合は「パス」と言う。何回でもパスできる。

また、テーマを当日発表し、その場で考えたことを話すこととし、テーマはネイティブ・アメリカンの格言から2つ選びました。
1つのテーマについて2回転した後、後半ではこの対話方法についての感想や問題点、従来の挙手方式との比較等について自由に語る時間としました。

以下、発言録です。

【一回目】格言:寝たふりをしている人を起こすことはできない

・何か方法はありそうな気はする。
・寝たふりをしてる人には、そのままだともっとひどいことになるよと教えたい。
・なぜ起こしたいのか? そのひとは起きたいのか? 起きたくない人を起きたくなるようにする?
・会議などで穏便に済ませたくて発言しない人(兎)がいる一方で、その人を脅す人(狼)がいる。理由があって寝たふりをしてるのに…。それをみて嫌だと思った。人には許容範囲があり、それに応じて行動しているので、寝たふりをした人は起こしてはいけないと思う。
・寝たふりをするにも根性がいる。継続は力…。寝たふりをする人(兎)はフリをしてるだけ。絶対に起きないひとは死んでるかも…。
大河ドラマで兎と狼の話があった。狼を目にすることはほとんど無いが、兎はよく見る。それだけ繁殖している兎のほうが実はつ強い?
・天の岩戸方式で起こすこともできる。起きない人を起こしたい側の気持ちはどうなのか気になる。
・寝たふりをしてる人の隣で一緒に寝てみたらどうなるのか。寝たふりしてる人に対してやれることはたくさんある。
・寝たふりをしたいだけの理由があるのだろう。気配を消したいのだろう。前出のエピソードで、相手を征服することばかり考えていた狼のような人は、そこには刺激がないと知って消えていき、おとなしい兎が残った。過剰に人に要求する人には個人的な欲望がある。兎はそうではなく自分の身を守りたいだけ。
・兎には二種類ある。自立できる人と依存する人がいる。
・依存してくる兎は面倒くさい。身を守るう兎は、己を知ってバランスを取っているのでは。寝たふりをしている人は周囲とバランスを取っている。電車で寝たふりしてる人もズルい人ばかりではないのでは。若い人を怒る高齢者もいる。どちらがいいかは一概には言えない。
・狼と兎の比喩は過去の会議の記憶から導かれたもの。その比喩では、寝てる人は兎、起こす人は狼のイメージで、狼はコントロールしたがる征服者。兎はそれに抵抗する。
・人を起こしたいときはおだてる? 狼は起こしたいというより征服したい? 寝たまま叩いている。
・狼は寝ている奴が許せない。起こして土俵に上げなければ気が済まない。


【二回目】格言:死はない、ただ世界が変わるだけだ

・死んだ自覚がなく、見ている世界が変わるだけ? 違う世界に旅立つ?
・自覚して死にたい。
・自分という存在には意味も価値もない。個人がいなくなってもこの世界は変わらない。自分が死んでも世界はあり続ける。個人の自我にそんなに意味はない。
・ただ世界が変わる、と思ったのは誰なのか? 死によってダイナミックに世界が変わる。無に還ったのか存在しなくなったのか。死んだ時も生まれる時同様自覚がない。とすると、死はないといえる。でも世界は変わる? 謎。
・死んでもその人はいる。残された人の中にその人がいる。
・難しい言葉。死ぬ直前は意識はある。生きている自分には意識がある。死んでしまったら自覚できなくなるかもしれない。死んだ後のことは誰も知らない。どこかにいるとしたら、今見えている世界ではない場所。なかなか言葉にならない。ドアをあけて違うところにいく感じ? その向こうになにがあるかはわからない。遺された側からの視点もおもしろい。
・残された人の視点が思いつかなかった。残された人の視点で見ると、世界が変わるというのがピンとこない。亡くなったひとの記憶はあるが、思い返すと、もし父が生きていたらおもしろいこと言ったかな、と思う。
・私が死んだら私の世界が終わる。でも死ぬとは思っていなくて、残った人の世界に自分は残るのだろう、嫌だけど…。
・死はない。生はない。ただ世界は変わっていく。人口も減る。そう思うと世界は変わる。神の視点からみると、生も死もない。数値は刻々と変化するけど、変わらないんだなぁ、と思う。虚無的な視点。神の視点の冷徹さ。
・家族の死を想い出す。死んでいくのは見ているのだけれど、あの人たちは本当にいたのか?という思いも湧く。実感がない。ただ思い描いていたキャラクターのような。世界が変わる、というのは、彼らがいない世界に私が入っていくような感じ。
・死もない、生もない。死ぬ時はパッと消えたい。世界が変わる、というのは可能性の集積。
・考える時間があまりないのがこのピース・メイキング・サークルのおもしろいところ。精神的なバックボーンが気になる。見送る側の視点にたつと、この人本当にいたのかなあという感覚もある。記憶はある。空間からいなくなって、その時点でフィクションみたいな、証明できるものがないというか。そもそも世界って何? 見えているこの世界もフィクションなのでは。死も無い、生も無いのかも。
・変わる可能性がある。
バタフライエフェクト。変わる可能性。死も生も無くても波紋は広がり、変わる可能性はある。直接大きな影響を与える人でなくても。
・見え方が変わる。自分の見方や環境が変わると。
・「死」「世界」の捉え方がみんな違う。
世界線パラレルワールド。でも自由意志がない立場からすると、その可能性はない。

【後半】--振り返り--

・普段の対話では、人の話を聞いてから話そうとするけど、つい被せて話してしまう…。順番に話すという方法はありがたい。話す機会が平等だから。話す時間の設定もないし。手を上げるタイミングの難しさを気にしなくていい。
・(後半は予約挙手無しにしたことに対して)挙手のタイミングが難しい。
・(テーマ1で話題に上った)兎さん達は、順番が回ってきたとしても、無難な答えをしたのでは。回ってこなければ、それでありがたいのでは。
・順番に回ってくると、各々の世界観が違うので付いていくのが大変だった。リラックスできるからできるのだろう、とも思う。
・即興だとくだらないことも言える。リラックスも大事。
・順番性だと、少し前の人に質問したい時、聴きにくい(その場で確認できない)。安心できる人だけだったからよかった。共通理解のあるコミュニティではできるが、パワーバランスのあるところではむずかしいかも。今日は六人という人数だったのもよかった。個人の資質も関係ある。
・発言録を取る人は考えられない。少人数はいいが、スピードが速い。意図的にゆっくり話す、間を置いて考えるとかいうこともあってもよかったかな。時間制限を外して普段より長くなってもいいという話にするといいかも。
・次の人に回す前に数秒おくとか。
・次の人に回す何かをバーチャルでも用意できないか?
・面白かった。リラックスできて。
・夜、少人数で灯りを消した状態ですると、雰囲気が瞑想的でいいかも。即興的に話題に取り組むのは楽しかった。
ネイティヴ・アメリカンの格言という切り口もよかった。いつもと違って。
・時間帯による対話の違いも面白いかも。
・おもしろい。いいツールだと思う。ただ、これは哲学対話なのか?と言う人はいるだろう。でも他の場所でもしてみたい。その時、どう言えばいい?
・今日はパスがなかったが、パスありという意識があれば、考え中ならパスしてもいい。パスが続くこともある。そうすると、挙手制とはそんなに違わないかも。即興のおもしろいところは、考えが深まっていないときに感覚的に言葉が出ることがある。普段の哲学カフェで出ないことも出る。プラスアルファがある。パスに抵抗がなければ、ゆったりとうまく回るのではないか。
・パスを誰かがすれば抵抗がなくなる。哲学対話の形式としても問題はないのでは。感情から入っても、他者の意見で哲学的にも考えられる。
・感情や感覚も大事。価値観は感情が動くと変る。
・ガチな哲学カフェって何? 何をもって哲学カフェというのかは人それぞれ。ちゃんとフィードバックがかかるものが哲学カフェ。でもうまく説明できない。
・議論好きな人が場にいると、感情的なことが話しにくい。でもおばあちゃんや若い人でも、ふとした会話ですごくいい話をされることがある。型どおりの議論より、ささやかな感情の発見も語りたい。でもそれは迷惑と言われると驚く。感情を含む対話も魅力がある。似た者同士ですればいいかも。
・ムーヴ。転がる、動く、そんな瞬間を作りたい。感覚、感情もある。論理で動く時もあるので排除する気はないけど、動かない場には抵抗がある。これが哲学か?と。そういう場には魅力は感じない。それが今感じている哲学カフェの疑問。
・似た者同士だけでは転がらない。人が変わったり、目先を変えたりも必要。
・知人に哲学ってなに?と聞いたら、不変を愛すること、と言われてびっくりした。変わらないのはいやだな、と。動くほうが好き。知人の言った意味は、不変なものを探すのが哲学?

この後の雑談タイムも、哲学対話のあり方についての話が尽きませんでした……。

※今回のカフェについて、なごテツブログにも記事を掲載しています。

7月22日のテーマ:輪になって語ろうーピース・メイキング・サークル

日 時: 7月22日(土)13時30分~15時30分

テーマ: 輪になって語ろうーピース・メイキング・サークル

ネイティブ・アメリカンの風習から生まれたピース・メイキング・サークル。焚火を囲んで一人ずつ順番に語り、次の人に回す対話方法です。今回は、この方法を使って対話します。前の人の話を受けても受けなくても、一言「パス」と言って回しても構いません。前半で対話を体験し、後半ではこれによって何が生まれるのか、逆に生まれないのか一緒に考えてみませんか。

定員:20名

参加を希望される方は「staff★nagotetsu.sakura.ne.jp(★を@に変換してください)」までメールでご連絡ください。

6月24日 『合意と同意』について考える

6月24日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『合意と同意』でした。

以下は当日の発言録です。

・合意という言葉は日常であまり使わない? 同意のトラブルは日常でよくある。
・合意も生活する上で使う。同意は一往復で完結するが、合意はもう1アクション必要になる。コロナ禍の移動を控える動き、あれは何となく形成された合意だったのでは。
・合意は契約。お互いが条件を出し合ってすり合わせる。合意は問題が起こりにくいが、同意は難しい。個人的には、相手側に既定路線があり、自分は受け身で同意する場合が多い。
・合意は対等の立場。コロナ禍の制限は暗黙の同意? 
・同意には対等ではないニュアンスがある?
・性的行為における同意の問題。男性側から合意の強制? 女性が仕方なく従うのが同意なのか?
・同意と合意は覆すことは許されるのか? 後でやっぱり無かったことにすることはできる?
・子育て中の体験。子供との間に同意が成立しない、親の要求に子供が納得しないと文句の嵐だった。自分が子供の頃は親に従っていたが、自分の子供は親に無条件に従うという発想がない。
・合意では自分の意見が確立している。同意では自分の意見を持たない場合がある。簡単に同意すると後で問題が発生する。自分の意思の確認が大事。考えるのが嫌な時、何でもいいと思う時、いい子のフリをしたい時は簡単に同意してしまう。同意のし過ぎで、自分の曖昧さが増大する。同意は要注意。
・皆とことん自分の気持ちに正直になった上で合意に達することにこだわると、物事が進まないこともある。合意以前の同意が必要な場面もある。ある程度の同意の幅を自分の中で持っておくのも大事。メリハリ。
・同意は何となく覆される。合意は破棄される。
・同意も合意も何となく決めた場合は覆すことができる。かっちり決めた契約は覆すのが難しい。相手によっても変わる。
・母親の世代は選択肢があると困るのでこちらで決める。子供と話す時は子供なりのスタイルで話し合う。
・母は「考えるな、感じるな」だった。
・選択肢をどちらが提示するのか。子供との間では両方が選択肢を提示する。自分の母親は選択肢を許否する。
・権利があると思った時、合意するという意思が発生する。権利が無いと諦めている場合は、合意に向かうという考えが浮かばない? 女性が権利を主張していいと思えるようになってきた。
・権利の背後にある責任の問題。自分が責任を取る自信が無いので同意する場合もある。自分が責任を取る覚悟がある時は合意を目指す。自己責任を追及されたくない時は同意で済ませる?
・責任を取りたくないときは同意もしないのでは?
・責任の厚みの問題。重い責任は避けたいけど軽い責任ならOKという場合は同意する?
・そのコミュニティとの関係性を維持したいという気持ちがない時は合意も同意もしない。
・病気の治療における同意書。同意すれば患者側の責任。
・医療現場での同意書のように、不可抗力的側面を含む場合はケースバイケース?
・昔の女性は様々な思い込みを植え付けられる教育を受けていた。
・空気に同意?
・自主的ではなく、明確な相手もなく、合意している場合もある?
・昔は男女の間に合意という概念がなかった。男性が一方的に決めていた。決めるのは男で責任を取るのも男だが、駆け引きや心理戦があった。現代では男女の権利意識が変化した。
・強いから同意することもある。同情心から同意する? 強い女性は、諸々見抜いた上で同意して、責任も取ってあげる?
・余裕の同意。表面的に同意する時は、裏に確固たるものがあることが多い。あまりに自分の考えが固まっていて、他人とすり合わせをする気が無いときは、簡単に同意できることもある。

<問い出し>ーこれまでの流れを踏まえて後半で話してみたい問いー
1他者の意見に同意して得られるものは何か?
2同意と合意の明確な違いとは 
3同意は自分を裏切るか? 
4同意ではなく合意を目指したいと思うとき、その動機は何なのか。なにを大事にしたいから、合意を目指す? 
5合意の強制的な側面から話してもおもしろいかも
6自分の人生の責任を自分で引き受けることができて、自立して生きてゆくためには、何を大事にしていけば良いのか? 

投票の結果、3の「同意は自分を裏切るか?」に決定
・妥協と同意、受容と同意。このなかに自分を裏切る要素はあるか。
・ま、しゃーないか、が頭をよぎる時の同意。そこまで自分の気持ちを重視しなくていいと思うのは裏切りなのか? 自分を俯瞰している?
・「裏切る」は犠牲になる?
・完全自己正直。違和感があった場合にはそこを詰めていく。合意を目指すことに近い。
・アサーティブでは、面倒だと思ったらやらなくてもOK。器の大きさによる。
・自分の中で譲ってはいけない部分の分量が大きい場合と小さい場合がある。自説(譲れない部分)と、好感度などのメリットとの計算がある。計算には裏切りがある。
・ここは一つ貸し、という場合。その上で何か自分の望みを通そうという場合はどうなのか?
・より多くのメリットを得るための戦略の一部の場合は裏切りではない? 人に責任を押し付けている時の心のチクには裏切り感がある?
・後ろめたさと裏切り感が微妙に違う。裏切りは後ろめたさより深刻なイメージ。何層も重なってねじれていくなかに裏切り感がある。
・メリットに目がくらんだ自分が、自分への裏切りと感じる。
・女性が女性として完璧に生きなければならない時代は、それを目指すことを強制されていたのでは? 罪悪感を持つようにできていた。
・「裏切り」は相手がいる。自分への裏切りとは、もう一人の自分への裏切り? もう一人の自分との約束が反故にされる?
・他人を裏切るのは怖い。自分は裏切る方が楽。その象徴として同意がある?
・同意に至るまでに咀嚼が必要。咀嚼によってコミュニケーションが生まれる。
・自分の思いとは違うことに同意する場合、それが嘘であることは自分でわかる。自分に対してはごまかせない。自分が嘘をついたことが自分を攻撃する。咀嚼して理解し直すと、爆発せずに済む。今嘘をついているという感覚を逃さない。
・嘘をつく時、相手も自分も裏切る。メリットを取る場合は自覚がある。自覚は大事。
・DVの場合、子供から見ると暴力をふるう父が嫌いで受ける母が可哀そうと思うが、深層心理はまた異なる。深層心理の圧まで引き受けた方が正直に生きられる? チクっときたとき、そこまで考えることが大事。
・合意や同意の背後に自分の正直さの問題がある。自分に対する不正直をためこむと大変なことになる。他者に対して正直になることは難しいので、自分一人で自分に正直な時間を持つことでバランスを取る。

6月24日のテーマ:同意と合意

日時: 6月24日(土) 13時30分〜15時30分

テーマ: 同意と合意

同意と合意にはどんな違いがあるでしょうか。
同意は、どう確認すればいいのでしょうか?
誤解されてトラブルになることも…。
同意する側、される側、第三者的視点など、様々な立場から考えてみませんか。

定 員: 20名(満員のため受け付け終了しました)

5月27日(土)『お金のチカラ』について考える

5月27日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『お金のチカラ』でした。

以下は当日の発言録です。

『お金のチカラ』

 

  • モノを所有できる。体験できる。そのためのツール。お金で得られるものは大きい。若い頃は、自分の価値=収入という自己評価をしていたので、数字を上げることにこだわっていた。
  • 稼ぐ自分の可能性にあきらめがついた時、自分の価値=収入という自己評価だけではなくなった。
  • ある程度のお金は必要で、ゆとり、クッションになる。持っていること自体が力。誰かを助けることもできる。
  • 貯蓄があれば、節約ライフでも心がすさまない。ゆとりがあると人を攻撃もしない。一方でありすぎると人を攻撃するということもあるのか…。
  • 心の安心、安定に必要。しかしお金に替わるものはあるのか?と考えると、人との繋がりかもしれない。それ以外にもあるだろうか。
  • お金はすごいと思っていたけど、実はそれほど意味がない。必要な経費以外は貯め過ぎておく必要もないかと。
  • お金がそれほどなくても、経験的に何とかなると思ってやっていると、この先もどうにかなる。 お金がある方が知恵が失われることもある。無いからこそ活力がわくこともある。
  • コンサルとの雑談で面白かったこと。人間は持てるお金に限度があり(莫大な金額)、それを超えると正気を失い、健康を失い、他にもなにかを失うらしい。具体的な数字があるとか。
  • 一億あったら、それを増やすことに使うだろう。目的なく数字にとりつかれそう。
  • インスタのフォロワー数が増えて喜んでいた時、他人の数が桁違いだった時、自分の数がショボく見えた。お金持ちになっても比較してしまうのではないか。
  • 学生時代、お金にまつわる授業などなかった。そういうのも子どもの時に教えてもいいのでは。お金に振り回されないためには、とか。
  • 今は家庭科でお金を学ぶらしい。FPなどを呼んで学んでいる。給料から引かれているお金の内訳などもきちんと知るべき。
  • お金は人との関係性にも影響を及ぼす。お金持ちの友達と付き合うのに苦労したり(お金がないと言えない)。
  • 投資を勧めても、最後は「自己責任」というのは、なにかおかしいのではないか。
  • 金融で扱う数字と、お財布で現実に使うお金の数字は別物。投資する十万円を実際に稼ぐのは大変なのに。デジタルマネーはリアリティが失われて怖い。
  • デジタル化は避けられない。慣れるしかない。破滅しない程度に痛い目にあうことも必要。学生の教育であれば投資サークルや投資部でゲームとしてやっておくのもいいのでは。 現実では、お金を使うと気持ちがわるい…。これは体質。意外と生理的な体質が使い方に表れるのではないか。
  • 快不快がある。使って楽しい人と使わない方が楽しい人がいる。
  • お金がたくさんあって使う時、気持ちよくて自由という感じがした。自分の責任で使えるのは楽しい。
  • お金がなくなることに対する漠然とした恐怖感がある。
  • 現代人は全てお金でまかなっているので、それが失われると不安になる。狩りなど食べる物を調達するスキルがないので、いきなり生存に関わる。生きる力そのものが弱い。
  • 子供への金融教育。実際的なことだけでなく、お金そのものがどういうものかを教えて欲しい。偏見が生まれないうちに教育して欲しい。
  • 幼年期のお金環境は刷り込まれる。小学生の時は100点取らないとおこずかいがもらえなかった。中学生以降は口座を作って自分で管理させられた。それは母の教育。
  • お金をマネジメントすることの自由さが大事。だからこそ、他人とお金がシェアできない。夫でも無理。だから逆にお金をシェアできる寛容さや信頼関係をうらやましく感じることもある。
  • マネーリテラシー以外に、子どもの時にお金とはなにかを対話で考えさせるといいのではないか。
  • お金がなくなった時、たまたまゴールドを持っていて値が上がってうれしかったけれど、意識的に投資するのはバクチみたいな気がする…。だからそれをしなさいみたいな風潮には違和感がある。
  • お金を持っていることで自由になれるのか、持たないことで自由になれるのか。
  • お金で買えないものはなんなのか?愛とか命?他にもある?
  • お金と安全。ないと安全?あると安全?近所のお金持ちは毎晩睡眠薬を飲まないと眠れないとか。お金持ちは安心できないのか?
  • お金そのものには価値がなく、それに価値があるとみんなが信じているだけ。
  • 政治家の資産一覧を見ると現金資産は少ない。不動産と株券が多かった。政治家はお金が危ういということを知っている。
  • パソコンを買った時、この価格の三倍はこのパソコンで稼ごうと思った。先行投資。お金の夢のある使い方。
  • お金を稼ぐ力も大切。周囲の女性の話は、お金がないのは不幸という論調。母は専業主婦だったからいざとなっても稼げない。だから資格をとるなどの先行投資は、安心を増やすために使うのは生きたお金の使い方なのかと。
  • お金を使う時、どうしてもそれが必要か?と自分に問う。必需品ではないモノでは特に。でもかたくなに我慢すればいいものではなく、心をいい状態に保つためには惜しまないで使うことも必要。
  • お金がない時、本は図書館で借り、イベントは無料のものだけにしていた。でも少し緩和して本を買ったり有料イベントにも出るようにしたら気持ちが変わったところがある。
  • コスパって重要かもしれない。費用対効果が高いほど生き金になる。年齢によって生き死には変わる。お金をエネルギーと見立てると循環するものと感じる。
  • 孫へのプレゼントはコスパがいい。孫の喜び方を見ると、こちらが受け取る喜びが大きい。人のために使う方が喜びは大きいらしい。
  • 海外支援で何兆円も払っているが、これはコスパはいいのか?先行投資なのか?国内にも困っている人は多い。大きなお金は費用対効果なくしては語れないのでは。
  • モノを創るのはお金に替え難い楽しみがある。必要な材料を買うのは自分が活き活きするお金の使い方。
  • 買ってもらったモノよりも、一緒にしたこと、嬉しい事を言ってもらったことの方が残る。それらはお金で買えない。童話でもお金持ちは主人公にならない。お金じゃない、と言いたい何かがある。
  • 年代や環境、国によってもお金の価値は変わるのでは。

 

 

4月22日(土)『「リアル」とは』について考える

4月22日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『リアルとは』でした。

以下は当日の発言録です。

『リアルとは』

 

  • コロナ以降人間関係がバーチャルになり、人生や生活感の手ごたえがなくなった。舞台の書き割りの世界のよう…。人がいないとリアル感が喪失する。
  • リアル感がないのも慣れて楽ではある。自分がバーチャル世界に移行しつつあると感じるが、生きている実感が乏しいのでやはり辛い。
  • 今は地方都市に住んでいる。昔は東京にいたが、都会の方が雑踏にいてリアル感があった。
  • 人のいない都会は直線的でリアル感は薄かった。地方の曲線の方がリアル。
  • 地方は人間関係が濃く、リアル感がある。見せる、見られるということが実感できることがリアル。「本当」というのは見せないもの。
  • 自分の「リアル」は、人によって見せる見せないを切り売りできる。
  • 「見せる」「見られる」をともなったものをニセモノという人もいる。
  • なにがリアルかわからない。ある問題が起きて、謝罪する必要があった時、どうしていいかわからなかった(どう解釈するか)。 謝罪メールの文章が自分では思いつかなくて、他の人に聞いたらピンときた。自分のリアルがわからない。どちらを選ぶかで、次に起きるリアルが変わってくる。
  • 主体としての私が考える実存的な本質を指してリアルというのか。自分に関して加工していて、本質は別にある? …私は、自分=リアルで、外部に関して「リアル」「バーチャル」と考えていたけれど。
  • 実存的な本質を決めるのは「神」。「ほんとうの私」は外から決められている。
  • リアルというのは現象の側にある。現象学的に還元されるものがリアル。
  • 現象を捉える時に、自分の判断・操作が入る。判断を放棄することさえも操作だから。
  • 子どもの頃に思い込まされたコアビリーフ(無意識に刷り込まれた価値観)にに動かされたものはリアルではない。でも外から見たら、それが「リアルな私」と受け止められるのだろう。
  • バイアスがない人はいない。無意識に入っているもので判断する時、本質的なことに導かれていない時、違和感がある。
  • バイアスがかかっている刷り込みも含めて今の自分がある。それをリアルと受け止める。泥の中から咲く蓮になるには、まずリアルを受け止める必要がある。
  • 本来の泥臭い自分にもOKを出すことで、楽になる。がんばりすぎた自分を捨てる。
  • 自分の中の原型を統合させるのがリアルな自分。シャドーやアニマ、アニムスに問題があると、現実に問題が起きてくるとするのがユング心理学
  • インナーチャイルドを癒す。自己の原点に戻って傷を癒し、自己実現する。

※参考:アニマは男性の集合的 無意識の中にある女性像の元型であり、女性らしさを担う。 それと対照的に、アニムスは女性の集合的無意識の中にある男性像であり、男性らしさを担う。

  • リアルは切り貼りできそうなもの。ほんとうの私も探りたいが、リアルな私というのは、人からどう見られたいかで作っている。他者視点ないとリアルがわからない。
  • リアリティが神。目に映るものがすべてで最上のものと考えてみる。現実を否定しない。解釈を入れない。
  • 本当の私なんてない、こだわらない。神のような絶対的なものと向き合うことで方向はつけつつも。
  • リアルな自分にはこだわらないけど、本当の自分のことは知りたい。人との関りでそれを知ろうとしている。質問等で引き出されたり。誰かと真剣に向き合い、形にする必要がある時、自分はなにを考えているのかわかる。真正面から人と関わると得るものが多い。
  • 自分が「書く」ということは、化粧をやめて鎧を脱いで書くのがリアル、と言った人がいた。でも私は、化粧も鎧も自分のリアルだと思う。
  • 違和感のない自分の顔は「素顔」ではない。化粧した顔の方がリアル。
  • お化粧しない方がリアルな人もいる。
  • お化粧には、自分のポテンシャルを活かそうとする意味と、自分がきらいだから隠す、という二方向がある。磨きをかけるのがリアルなおしゃれ。自分から遠ざかろうとするおしゃれはリアルではない気がする。
  • 整形もメイクも画面補正も、本人が選んで得た結果なら全てリアルだと思う。
  • 演出して自分を表現するのもリアルでアリだと思います。
  • お化粧も、自覚してやっている限りはリアル。何となくやっているのはリアルじゃない。
  • 自分が創ったリアルにのっとられた人がいた。
  • プロフィール写真。マッチングアプリで、実際会ったら写真と違う人もいる。アプリは写真のイメージが大事と言われている。目で選ばれることが重要な世界。FBのプロフィール写真は、他者に持ってもらいたい自分のイメージ。今は目的に応じたものにしているが、写真が素敵すぎて、そこに近付きたい、早くいかなきゃと感じる。差を早く埋めたいと感じる。
  • 母の遺影。昔、撮って用意していたものは表情が固く、違和感があった。母が亡くなって探したが見つからなかったので、スナップ写真を切り抜いて遺影とした。その方が自然な笑顔でよかった。ありのままは美しいな、と。
  • 娘のプロフィール写真を見せられて、違和感あったけど褒めてほしそうだったから「かわいい」と褒めた。そしたら、「きれいに生んでくれてありがとう」と言われた。びっくりしたが、娘は幸せそうだから、それがその子のリアルなんだな…と。
  • コロナ渦の時、マスクの顔がリアルになって、感染症が収束しつつある今、マスクを外すのが恥ずかしいと思う心理も、すでにマスクの顔がリアルになったということなのか?なんでも慣れてくるとリアルになるのか。でも半分のっぺらぼうなのですけど。
  • フランクルのロゴセラピー。抗えない状況でも自分の人生にyesと言う。本人がよければそれがリアルで幸せ。
  • 「今の僕たちのリアル」というコピーを見て、リアルは普段は表に出ないものというイメージをもった。普段表に出ていないものが垣間見えると胸を打つ。誰もが、自分が隠しているリアルは何となくわかっているのでは。見えにくくなっているリアル。
  • ギャップにその人の本質を感じることがある。それが垣間見える瞬間、それがその人のリアルと感じることがある。
  • テキストだけの付き合いだった人たちとリアルで会った時、テキストだけの自分のキャラを作っていた人がいて、実際とは全く違って驚いた。
  • 小説を書いていて、キャラを設定すると、自分の中にもそのキャラがいることに気づく。自分自身にとっては、そのキャラもリアル。
  • 多重人格の人のドキュメンタリーを見た。全ての人がその人の中にちゃんといる。「本当の自分」が誰かなんてわからないのでは…
  • 自分の中の見えないバイアスを外すのに、キャラを変えて演じるのはいいかも。

 

**皆さまのコメントお待ちしています。**

4月22日のテーマ:「リアル」とは?

日時: 4月22日(土) 13時30分〜15時30分


テーマ: 「リアル」とは?

「リアル」と聞いて、何を思い浮かべますか?
「リアルの私」と「本当の私」は同じでしょうか?
あなたにとって今の「リアル」とは。

定 員: 20名


参加を希望される方は「staff★nagotetsu.sakura.ne.jp(★を@に変換してください)」までメールでご連絡ください。