おなごテツ

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11月25日『傷つく/傷つける/傷つけられる』について考える

11月25日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『傷つく/傷つける/傷つけられる』でした。

以下は当日の発言録です。

  • 大勢を救うことが大切なんじゃない、たった一人を傷つけないことが大事、と言われた。一方、誰の力も借りない、でも人とも関わらない、という人がいた。どちらも両極端な例だけれど、自分はどちらで生きればいいのか…
  • 人を傷つけずに生きていくことは可能なのか? 悪意をもって傷つけないようにはできるけど、受け手の問題もあるのでは。
  • そもそも、人を傷つけようとして傷つけられる? いじめるのが好きな人が誰かをいじめようとしても、受け手が気にしなければ傷つかない。自分の中に傷つく要素がない。要素があれば、自分で自分を傷つけているのでは。
  • 権威ある人は他者と対等ではない。権威の中に武器があるとも言える。そこに気を付けないといけないのでは。対等の意見の交換ではなくなる。
  • 権威のある側に悪意が無かったとしても、受け手が卑屈になっていて恐れていると勝手に傷つく場合もある。「一人でも傷つけたら」は「意図的に」が入るとアウト?
  • 対等な善意と力関係のある善意は違うのでは。傷つく背景に「善意」もあるのでは。縦に流れるか横に流れるか。
  • 上から助けてあげる、救ってあげる、という姿勢の嘘臭さに違和感。
  • 心身ぼろぼろな友人がいる。声をかけたいが、かけるとむしろ傷つく様子。なんとかしようとし合うと傷つけあうようなカタチになってしまう。一人で修復しなければいけない時がある。「かわいそう」と言われるのも傷つく。声をかけてはいけない時もある。
  • 自分がどれだけひどい状態かわからないことがある。それを外から指摘されると、さらに落ち込むこともあるのでは。カテゴライズされることで、自分の状態にびっくりするのは「傷つけられる」ということなのでは。
  • 3.11の時、被災地で、通りかかった車に「がんばろう」と書かれていて悲しくなった。傷ついたとも言えるかもしれない。カテゴライズされる悲しさ。
  • 権威にはパワーがある。人を助けるためには力が必要。たくさんの人を救えるならいいのでは。権威は利用すればいい。カテゴライズされたとしても弱者の立場を利用する。下から目線の強さがあればやっていける。
  • 対等な善意はない。うまく回っていけばいいのでは。
  • カテゴライズされて傷つく感情さえ起こらない状態がある。明日どう生きるか…そういうレベルでは傷つきようがない。「傷つく」というのは、まだ感情を感じられる状態にあるということ。励ましの声も耳に入らない。
  • 対等な善意があるとすれば、善をおこなう側に意図がない場合。
  • 状況をよく知らない人に勝手に決めつけられる時、傷つく。境界に侵入されている感じ。普通なのに「普通じゃない」と言われると壁を感じる。一方、ただ見守ってくれるのはうれしかった。
  • 修復しようとしているのに、外からあれこれ言われるとかえって壊れてしまう…
  • 人を傷つけない代わり、誰とも関わらないような人にはなりたくないと思っていた。同情するのは失礼だという人もあるが、されたい場合もある。
  • 「傷つける」に関する自分の基準がある。傷つく強度の基準が人と違うことに年を重ねてからやっと気づいた。気づいてからは人と触れ合うことに腰が引けるようになった。だから人を遠ざけるかというと、そうはなりたくない。これからもやりすぎるかもしれないけど、人と付き合っていきたい。
  • 自分の価値観が相手を傷つけたと知った時、自分が傷ついた。相手に寄り添えないショック。他人軸になるとわからないことばかりでしんどくなるので自分軸で、自分で自分をしあわせにしたい。
  • 一番傷つけくのは、自分で自分を傷つける時。自分を自分が一番批判している。
  • 傷つくときには必ずしも相手がいない。やはり自分が自分を一番傷つけている。今までで一番落ち込んだ時もそうだった。それがわかるまで時間がかかった。
  • 人を救う仕事には権威がいる。でもそれはビジネス。権威ある立場にあるだけで善意があるわけではない。善意で人を救う人ではない。
  • 人を傷つける時、相手が傷ついたかどうかわかりづらい。自分自身が傷ついた時も相手は気づいていない。だから指摘して話し合うこともあるが少ない。流してしまうことのほうが多い。傷ついたことを言わない人の方が多く、よくない方向に行くこともあるのでは。ただ、謝罪や話し合いをしても、相手の傷ついた感情は消えない。それは知っておきたいし、相手にも伝えたい。
  • 自分が深く傷ついた場合は相手に伝えなければと思うし、近い関係の人にも伝えなければと思う。
  • 「傷つく」というのは、どこが傷つくのか? イラつく、腹が立つのは傷つくとは違う。誰かに期待していたのに裏切られた場合、期待という形のないものが壊された時に傷つく? そうするとそもそも傷をつけられる実体がないのでは?
  • 傷つくのは仕方ない。別の関係性の中で生かせればいいのでは。
  • 以前、社会的なアイデンティティが一時的に消えた時、どうなるのかと思った。でも内側にはなにかが残っていて、それに支えられていた。自分の価値観に自分で疑いをもった時に苦しむ。
  • 相手を本当に助けたかったら、傷つけるとか傷つけないとかを超えて、真心で行動し信頼を得ればいいのでは。
  • 傷つくというのは痛みを感じること。感じない人はいないのでは。だから傷つかない人はいない。信頼関係があれば、傷つけても修復はできる。何も言わないというテもある。吟味する時間をもつとか。長い付き合い以外の人には言わないようにしている。
  • 傷つくと壊れるは違う。傷つくと壊れるのボーダーを意識した方がよいのでは。
  • 大切な人には傷つく傷つかないを超えて手を出したい。そうでもない人には言わない。すぐに傷ついたと言う人もいるが、本当に傷ついているかどうかの判別は難しい。
  • 人に「傷ついた」と言われ、その理由を「あなたと友達になりたいから」と、延々と聞かされたことがある。今もなかよしでいる。伝えるのは誠意。エネルギーのいることなのに。感謝している。
  • 故意に傷つける人について。痛みを感じたくなくて防御方法を知っているので逆に傷つけてくるのでは。でも、された側は意外と傷つかない。
  • 年齢の話で自虐的に話したら、妹から「傷ついた」と言われ、傷ついたのは妹のせいだと思った。傷つくのは受け取り手の問題。
  • 傷ついたから謝ってよ、と言われた時、安易に謝るのはどうかと思う。「誤解を与えたのなら…」というのも、どうかと思う。今後どう付き合っていきたいのかでも変わる。
  • 悪意で「傷つけられた」場合、どうするか。相手に傷つけられた理由はあえて説明はしない。相手を成長させない。真心で向き合う気はない。
  • ネガティヴプレジャーというのがいる。わるいことをしてでも構って欲しい人。すごく鬱陶しいけど構わないのが一番の復讐。
  • 傷つくってそんなに悪いこと? それでなにかがわかるはず。これを機会に変わろうと。
  • 子供の頃にみたアニメ映画「親子ねずみの冒険」。親子ねずみが苦労して最後には幸せになるお話。子ねずみが意地悪をしたオジサンねずみに対して「おじさんも幸せになってね」と可愛い声で言う。子ねずみも傷ついて苦労したのに相手にそれを言うことができる。それを言うことによって自分を修復できる?
  • 傷つくのは受け手の問題だとわかってるからこそ、傷つく方は辛い。メンタルが弱いからだ…と。二重に苦しい。相手に言えない。それで追い込まれて鬱になったり…。病気扱いにされたり。傷つく方に問題があるという風潮に生き辛さを感じている。
  • 傷ついてる人が悪いんじゃない。問題は、そこからネガティブプレジャーになったりすること。傷つきやすい人は、感受性が強くて優しい人。
  • 感じやすさもひとつの個性。強くなれというのもどうか…。
  • 「傷ついた」と表明して、相手にわかるまで説明できる人は強い。むしろ、傷つくのを恐れて流してしまう人の方が弱い。

 

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