3月26日に行われた「おなごテツ」のテーマは、「成熟の果て」でした。以下は当日の発言録です。
「成熟」という言葉のイメージは?
- ぱっと思い浮かぶのは熟女。でも熟女は成熟していない?
- 「熟女」という言葉に、いいイメージがない。みなさんはどう?
- 「熟女」は、年の割にキレイだったり、アンチエイジングができていて魅力的だったりするイメージ。
- 成熟の「成」は成人の「成」。「熟成」という言葉もある。熟女は教養があり、きれいで、おしとやか。マナーを持っている人というイメージ。
- なにかが熟するには、水分が必要。とすると、「熟女」が含んでいる水分ってなんだろう?
- 以前、哲学カフェで「バックハグされたい」と言ったら、反対意見がたくさん出た。ほかの人にはそんな願望がないの?と驚いた。この「バックハグされたい」と思う気持ちが水分? 私の気持ちのなかに少女マンガ成分が残ってる?
- 「少女マンガにはドSとドMの傾向を助長する可能性がある」と書かれているのを見たことがある。ドS男に対して、助けてもらおう、甘えさせてもらおう、守ってもらおうとアピールする気持ちが「水分」なのかな。
- シスターフッドの真逆が、弱者として男に守ってもらうこと。
- 無農薬野菜は、余計な水分がないから腐らない。枯れるだけ。
- 若くなくなると、「若気の至り」のような行動がなくなり、困ったことが少なくなる。でも、これが成熟かどうかわからない。
- 自分で自分を完成させるのが「成熟」。
果物が食べ頃になるのが「成熟」。 - 「成熟」は、経験を積んで成長していくイメージ。時間経過によって変化することが「成長」とはいえない。むしろダメになることもある→経年劣化的な?
- 若い頃にあった勢いや体力がなくなり、それを補うために頭を使うようになるのが「成熟」。
- 若さに対抗するものが成熟。職場の女性が「私たちは熟女の魅力だから」と言っていた。
成熟の果てにはなにがあるでしょうか? 果てと先の違いは?
- 「成熟」が「完成」だとしたら、最後までそれを維持していければいいな。
- 「成熟の果て」にあるのは「開き直り」。年をとると我慢ができなくなるが、その「自分が完成する」ことを「成熟」とするならば、その先に開き直りがある。
- 「成熟の果て」が「開き直り」だとしたら、それは自分を自由にしてあげる、自由に生きると言うこと。死ぬまでその状態のままで生きて、そのあとは土に還る。
- 「葉っぱのフレディ」という絵本では、葉っぱは枯れて落ちていく。私も枯れたまま、するっと落ちていきたい。無農薬野菜は、必ず種をつけるという。私が考える無農薬野菜は、自立していて、虫もつかない。悪いことは言わないし、相手を傷つけたりしたくないから、そういう種はまかない。
- 年をとるということは、素晴らしいこと。生きている間にいろいろ経験して、いろんな選択をしながら、ここまで生きてきた。これまでの選択が大きく失敗していないから、今ここにいると考えると、長く生きている人は、それだけよい選択をして、経験を積んできているということになる。それって、すごいことだから、その経験は誰かに伝えていってほしい。ちゃんと伝えていければ、世の中よくなるのではないか。枯れたまま死んでしまうのは、あまりにももったいない。
- 伝えたいけど、受け取る側の準備ができていなければ無理。求められなければ、与えられない。バランスが大事。
- お年寄りでリタイヤした人と、子育てに困っている若い世代が、同じ場所で暮らせるといいなって思います。おばあちゃんが子どもと接する機会が増えれば、一世代上の文化が子どもたちに伝えられてWin-Winだと思う。
- 子ども食堂のように、恵まれない子どもたちを助けられる場があるといいね。
- 今はYouTubeが流行っていて、若者は若いYouTuberの考えに感化されてしまう。YouTuberは「仕事せずにお金をもらえればいい」と、昔の常識では考えられないようなことを言う。そういう動画を見ていると、なにが正解か本当にわからなくなると思う。
- YouTubeで有名になる人はネオリベ(新自由主義)。自己責任で、好きなことで生きていくということが重宝される時代。仕事なんて適当にやればいいんだよって、仕事が好きじゃなければそれ以外で満足すればいいという価値観。
- YouTuberが考える「成熟」は、視聴者が考える理想の形であり、もともと自分自身が考えていたゴールではない。そんなゴールを目指し、自己実現していく人は、とても空虚に見える。
- どんどん整形していく女性のYouTube動画を見ているが、彼女の頭のなかには「成熟」という文字はない。常に現在進行形で、いけるところまで突っ走りたいと思っている感じ。常に発展途上というのが、彼女の生き様。そうまでしてなにを求めているかというと、多くの人の反響。彼女を見ていると、空恐ろしい生き様を見せられているという気がする。
- 成熟に向かうという意図があるのか。やりたいことをし続けて、ある日突然、満足してしまったとしたら、そこが成熟、ゴールではないのか。その先に、もうがんばらなくていい世界があれば、それが成熟の果て?
<ここで休憩。ここから後半>
- 美容整形を続けているYouTuberは、今や教祖になっている。フォロワーさんの反応を見て、満足しているし、とても幸せそう。彼女を見ている人も、彼女のことを成功者として見ている。
- 職場の女性が、明らかにルッキズムを利用している。その人が年をとったとき、どうするんだろうか。年をとったら、自然に態度を改めていくのだろうか。
- その(ルッキズムを利用している)方は、今を後悔したくないからやっているのではないかと思う。
- 叶姉妹は、そろそろ還暦だと思うけど、成熟しようとしていない。成熟を目指さない人もいるのでは。
- 成熟は「(自分的に)完成」だけど「完璧」ではないなと思った。ゴールがないというのはどういうことなのかなと。
- YouTubeでLGBTにインタビューをしている動画があった。その人は「私はLGBTなので性転換し、理想の自分になったはずなのに、今すごく後悔している」と言っていた。「性転換手術したら自己実現できると思ったが、そうではなかった。DNAまで変えられないので、私は男のままだった」と。「自分は女装癖があるだけだったんだということがわかったとき、すごくショックだった。私たちは、自分でないものになっても、なにも癒やされない」。自分であり続けることが、最終的に自分が望んでいたものだった。
- 「これは自分でない」「自分はこうだ」ということは、自分でないものにならないとわからないのではないか。
- 私にも変身願望があるが、そこに癒やしはない。自分自身に気づいていくことが成熟なのかなと思った。
- おなごテツの女性は成熟している。参加者が、お互いに相手を活かし合っている気がした。
- 成熟した社会、成熟した話し合いという言葉もある。そこには対話があった。
- 最初に成熟に対してイメージしたのは「寛容さ」。他者に対して寛容になれたら、成熟したと感じる。自分自身に対して「成熟」はない。もっとこうなりたいと思い続けていて、それが無理だと思ったときにささっとやめるだろう。対自分と対社会で成熟のニュアンスが違う。
- 一芸に秀でて、あるゴールに届いたとしても、若い人はもっと先を行く。だから、満足している余裕はない。自分の成熟は果てがない。自己実現の成熟はまことに難しい。
- 人も、成熟とともに「我」が弱まりそう。
- 成熟すると、成長しなくてもよくなる。と同時に、我がなくなる。気が済む、という感じ。向上しなくてもいいというのが楽。
- 昔、出木杉さんになろうとして頑張っていた時代があった。ある日、家族に対して「出木杉さんをやめた」と宣言したが、家族は特に反対しなかった。その反応を見て、すごく楽になった。家族も楽になっていくんじゃないかと思う。
- 割れ鍋と綴じ蓋の夫婦になったとき、ラブラブになれた。これが成熟だとは言えないけれど、お互いに我がなくなり、相手を責めることもなくなって気が楽になった。そんな親のポンコツ姿を見せつけたら、息子も諦めた。
- 人間って、赤ちゃんのときは自己中心的で、十代から他者の目を気にし始める。そのあと、また年齢と共に自己中心になっていく。高齢になるほど、他者中心的な感覚から、自己中心的な感覚になっていくんじゃないかな。でも、年をとってからの「自己中」は、甘えがなくなった分、子どもの頃の「自己中」とは違う。高齢者が、自分の生き様をYouTubeで発信していけばいい。
- 高齢者の生き様をもっと見せて欲しいという意見。若い人たちに自分たちの考え方を伝えないのは、嫌われるのが怖いから? そんなことを怖がらず、高齢者が自分の考え方をもっとちゃんと発信していったほうがいい。
- 親達の世代は主観と客観の区別がないから主観だけで意見を言う。自分達の世代は主観と客観という概念があるから、自分を客観視してしまって中々本音が伝えられない。
- 日本は子ども&若者中心の文化。フランスみたいに大人の国になるには、哲学対話が必要かな。
- 私はずっと自分のことを65才だと思っていたのに、調べてみたら75才だった! でも年は関係ない。ネットを使えば、なんでも調べられる。こうやって、哲学カフェでもお話しできる。まだまだいろいろやっていきたい。だから果てはない。
- 水平線が果てかと思ったら、そうではなかった。最果ては、直線ではなく丸いのかな。客観視しながら、果てがあるのかどうか探りながらいきたい。