11月23日に行われた「おなごテツ」のテーマは「どうしてグチっちゃいけないの」でした。以下は当日の発言録です。
- 日常のささやかな共感を得たくてグチを言うことがある。でも軽いグチでも「文句言ってる」と取られることもある。
- ネガティブ発言でコミュニケーションをとろうとするクセがあり、それがうまくいく時といかない時とある。
- グチった後、イヤな気持ちになる。それはグチっちゃだめという固定観念から。
- グチには自分を客観視して問題点が浮き彫りになる面がある。
- グチることで相手の共感力を誘い出し、その人のネガティヴな面が見えてしまうことがある。
- プロのカウンセラーの態度は主に傾聴。アドバイスはなし。一方的に話をさせてもらえて救われる。身近な人に対してはグチで時間を奪うようで気がひける。
- グチを聞いた時の気持ちは不愉快。こちらの時間やペース、気持ちを無視して言ってくる。
- 自分がグチをいう時は、怒りや不満を人に知ってもらいたい、わかってもらいたいという気持ちがある。
- 怒りや不満は行政に苦情を出す、相手に直接言うなど、単なるグチではなく行動を伴うこともある。
- 社会的な問題点だと思って言ってみたことがある。でも聞いた相手からはグチととらえられたことがある。自分の中ではグチではなく確固たる問題点だったのに。相手の人と見ているところが違った。
- グチの定義ってなんだろう?
- 現代は女性の不満が多くなりがちな社会環境。女性が愚痴っぽいということではなく。
- 「グチ」は、大勢で愚痴る事は少なく、小声でぶつふつ長く言うことが多い。でも意味のあるぼやきとグチは違う。
- お姑さんの話をネタとして話していたことを友人には「グチ」と思われていたことがある。自分ではグチっていたつもりはなかったのに。
- お姑さんの話は「グチ」ととらえられやすい社会。
- 社会的問題だという認識に至っていないものだとグチと矮小化されるのでは。女性の不満とか無視されがち。全部面倒事を女にまかせている。
- 男性は弱音を吐きづらい?グチを言わない文化?
- 女性自身は「グチ」と思ってないことが多い。単なるコミュニケーションツールであることも。つながりを確認しあう作業。
- 男性は大きな問題について話題にすることは許されるけど、弱音は許されていないのかな。大事にしている世界、見ている世界が違うのかも。
- 男性は、しっかり話を大切に聞いてもらえることが多い。ちゃんと問題と認識してもらえる。男の名前で意見を言うと話が早くなったことがある。
- 男性もグチる。ただ、女性がグチる相手の範囲は広い。男性がグチを言う相手は限られている。グチを言うことは隙を見せることだから、男性はそれを危険と感じて身近な人にしか言えないのでは。
- グチを聴くのは好き。腹を割ってくれると感じるから。でもその話からは、その人の固定観念が見えてくる。
- 逆に自分がグチる時も、固有の価値観が相手に伝わるだろうな、と思う。同じ価値観同士であれば共感の楽しさを感じやすい。
- 問題には、変えられること、変えられないことがある。変えられないことをグチで封じ込めることがある。でも変えて欲しいことを頻繁に伝えると、クレーマーととられることもある。改善できることも多くの人が言わないから、それを伝えた人のグチと思われてしまう。
- ご意見箱に意見しても採用されない。形式的なものに意味はない。小さい声でも、ささやかでもつぶさないでほしい。
- お互いにグチを言い合う不毛な会話がある。相手をコントロールしたいという欲望の戦い。当人同士はエネルギー発散できるけれど、ただそれを第三者的に聴かされると放射熱を浴びたようで疲れる。
- 夫にグチる時は「わたしグチってるな」と意識している。でも夫はそのグチをグチに終わらせず、新しい視点をもたらしてくれる。別の視点から見てくれていたり。愚痴を愚痴で終わらせないのがいい。
- 何歳ぐらいから愚痴をいうようになるのかな。
- その人の言い方(声とか)で「グチ」と取られることがある
- グチは言ってもいいんじゃないか。問題点や本音がわかる。聴き手が負担に感じるのであれば、そこが問題。ずっと聞かされていてつらいときは逃げる。聴き手の受け取り方では。
- グチを言う相手は、自分より下の人に対してはよくない。対等であればいいけど。
- グチを聞かされる場合、立場が下の人は逃げたくても逃げられない。
- 外では言わないことを家の中では安心して男性は話す。それが気分転換になるならそんなグチはいいことなのでは。
- 弱音=愚痴と思っていたが、悪口になってしまうこともある。
- 人の影響を受けやすい人、敏感な人の前ではグチは言わない方がいい。その話の中で決め付けられたことが、聴き手にとって決定的なことになることもある危険性。
- 愚痴の「愚」という言葉は必要でしょうか。立場が上の人が、下の人の口をふさぐために使う言葉が「愚」なのでは。上は下に批判言われたら嫌だから。
- 正論で言っているつもりのことが危ない。とことん明らかになるまでグチってみればいい。中途半端だから「病」(愚痴の痴はやまいだれ)になる。
- 愚妻とか言う人は差別的で、抑圧的。
- グチを聞かされたあとでも爽快感がある人がいる。行動・改善できない理由がある場合にグチることが多いが、自分の考え方を変えるためのグチである時。話すことで自分をメタ的に観ているとわかる。
- グチは他者の時間を奪ったり立場の弱い人に対して圧力になったりするので気をつけなくちゃ。でもグチをこぼしてすっきりしたり頭が整理されたりといった良さもある。自己肯定感が上がることもある。
- プライドと意地でグチを言わなかったことがあるが、その代わりに社会や人を呪うようになる。グチはあってもいい。ないと、より悪い形で表れてしまうのでは。
- 聴く人の立場、属性によって判断が変わる。「グチ」ととられたり、立派なことを言っていると思われたり。
- 愚痴るのにもテクニックがありそう。
- 人間はグチってしまうものなので、では、どうするか、という問題。グチっちゃいけないと安易に抑えるのではなく、どうしようもないものとどういうスタンスで、どう生きていくかが重要。
- 愚痴=循環。弱音=対自(自虐?)。陰口=対他(攻撃)。ボヤキ=対象があいまい?
- 愚痴がその場にいる人の結束力を強めることがあると思う。
- 「愚痴」の「愚」は、自分にむけているのでは。自分なんて、たいしたものではないという謙遜の気持ち。自分の愚かさを認めるのも大事。
- グチにも作法がある。その作法にかなっているかどうかが大事。 いきなり電話してきて話すとか、他者を自分の感情のゴミ箱にしてはいけない。
- お互いに敬意を持っていたら、グチを言い合ってもOK。
- 男性はグチらない人でも、どこかでガス抜きしているもの。そのガス抜きに女性をつかう人もいそう。女性にケアさせたり、マウントとることでストレス発散してきたりとか
- 聴く人の気持ちへの配慮がある人がいる。グチと思わせない。
- 配慮のないグチは暴力。グチる人は、果てしなくグチることのできる相手を見つける能力がある。だから聴く側も防衛策を講じる必要がある。
- 主人と奴隷だと、奴隷の話(グチ)は聞かない
- 道端のおばさんたちの会話が成立してなくて、みんな自分のことしか話してないのって、結構究極の「相手のグチ聞き係の回避策」なのでは
- グチって基本的に自分のことを話しているけど、哲学カフェで話そうとしている時は自分の問題というよりはもっと大きな問題として話している。
- 対話になる場と、プライベートな場のちがいか。
- 愚痴は絶対ダメ、ではなく、時と場合による。ただ、対等でなければ対話にならない。愚痴にはお作法が大切。
- 「お金払って、カウンセリングにいけば?」って思うような愚痴もある。
- グチを言いたい人お断り、というカウンセラーの注意書きがありショックだった。自分に友達がいてもグチは言えない。自分が聞かされてウンザリしたことがある。だから相手もウンザリするだろう、と。
- 愚痴るのに自信がなかったら「1分だけ聞いて」って言ってみるのもいいかも。