おなごテツ

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10月22日(土)別れ

10月22日に行われた「おなごテツ」のテーマは「別れ」でした。別れの捉え方や別れとの向き合い方などについて、活発な議論が展開されました。

以下は当日の発言録です。

  • 意図して別れる時もあれば、最後とわからず別れてしまうこともある。自然に疎遠になり二度と会えない時などはせつなくなる。
  • 井伏鱒二の「サヨナラたけが人生だ」訳詞。終わってしまう瞬間の別れが人生だよ、と言っている。さよならは次へとつながるという歌が流行るようだが、終わるものはスパッと終わってほしい。生まれるものは別のところから生まれてほしい。
  • 未練は別れの属性。引きずることはOKだけど、別れから出会いは生まれない?
  • 一度別れてやり直すのは「中断」に過ぎない。
  • 以前ネットショップをやっていた時、思い入れがあり、辞める時感情が残った。「ちょっとお休みします」と言ってから、自分の中で気持ちを整理して、「やっぱり閉店します」と言った。人と人との別れだけではなく、物や事との別れもある。
  • 別れざるを得なくて別れる時が別れ。個人的には「去る者は追わず」。意図せずに切られた時に「別れ」と感じる。
  • 離婚した時、一日で決めた。でも可愛がっていたコザクラインコが亡くなった時、すごく悲しくて、なかなか思い切りができなかった。
  • 別れの時にひっかかるのは「執着」。二人の関係性ではなく自分の中にあるもの。
  • 幼稚園児が通園時に母と別れたくなくて泣くことが多いが、泣かれないのも辛い…。別れ際に相手に求めるものがあるのか。さみしさを共感し合うとか。
  • 去る者は追いまくる。そして相手が振り向いたら別れる。
  • 「人は三度目で死ぬ」という言葉がある。最初は父母が死に、二度目は父母を知っている人が死に、三度目は亡くなった人が大事にしていた薔薇が枯れた時、だった。

参考

人間は三回死ぬのだという。
一回目はつまり肉体の死。
二回目は彼または彼女が生きていたことを記憶し、思いを寄せる人の死。
三回目は、その全てが歴史とともに忘れ去られるとき。

  • 学校の同じクラスに嫌いな子がいても、卒業までの時間が短ければ許せる、という効果もあるかも。いずれ来る別れが寛容さを生む?
  • 別れとは「終わり」。自分の中で関係が終わるという予感、真っ白な布の中にひとつでもシミができると、それは消えることがなく、終焉を迎える。すべて終わらせる覚悟が「別れ」。
  • 余白の白を見るか、決定的なシミを見るか…。人によるのかもしれない。
  • 断ち切るタイプと、断ち切られやすいタイプがいるかも。
  • 大事な人がなにかを発信し続けていたのに気付かず、突然別れが来ることがある。鈍感というか… 断ち切られていても気付かなかったのかな、と。だから「追ってはいけない」と思っているのかも。
  • 昔は人を切ることがなかった。人を切る時に「ごめんね」って思うから辛かった。でも今は自分から切ってしまう。周りが怯えているけど…。
  • 切る時は切るけど(生命の危険がある時など)、日常では自分が切られたことに気づかないことが多い。年賀状の関係だけでもつながっていると思うから、用があれば電話したりしてしまう。その後に再び関係が深まらなければ、そういう距離なんだと思う。
  • 「忘れている」と「別れている」の違いは?
  • 別れている気がないけど忘れていることがある。
  • 別れを切り出されるとなぜ怖くなるのか。価値がないとか存在意義がないレッテルを貼られた気がするからだろうか。
  • 別れるは意思決定がある。忘れるは意思決定がない時もある?
  • 別れを言われた時、それで自分の気持ちもわかった。追いかけたいほどでもないな、と。死刑宣告されても宣告自体の意味が軽くなる。
  • エネルギーを奪いに来る人から離れるとラクになる。
  • 相手から「振って惜しかったな」、と思われる女になりたかった。振られることでスキル向上させて。何年後かに振られた相手に会い「この程度の相手だったか、勉強させてもらったな」と思う。別れを糧にする。
  • 振られた相手を追いかけたいと思ったら、相手にそれくらい魅力があるのだと思う。そう思ったら素直に受け止めたい。
  • 自分はこれだけ費やしたんだから回収したい、みたいなのはよくない。バクチみたいにつぎ込むのはよくない。
  • 離婚した相手のわるい所をノートに書いておいた。見直すとシャキッとする。自分のハートに「愛の形」があり、それに合う人がいたらいいなと思う。ただ、もし出会ってしまったら執着してしまうのでは、と。知人でそういう人がいて、パートナーが亡くなっても、ずっとそこにいると言っている。たとえ苦しみや悲しみがあっても、うらやましいな、と。
  • 相手が亡くなったとしても、本に書くとか絵に描くとか創造的に蘇らせることができる。
  • 人は日々壊れて再生されている。
  • 自分に影響があるうちは、相手の生死がわからなくてもいる気がする。物理的に別れっぱなしでも、思い出せばあの世でもこの世でもどっちかにいる。両親が離婚しても、子と親は別れた感を持っていない。自分が記憶している限り、誰とも別れようがない。嫌な相手でも。
  • 実は別れって不可能ではないだろうか?
  • 活字にのこったものは、書き手が亡くなっても、その人と語り合える。ネット上で出会って別れていくのは、身体を介さないけれど、どうなのだろう?
  • 別れは、二度と会わないという宣言。伝えたいことも伝えられなくなる。
  • そこにいて触れられても、関われないことがある。病気などで存在感も変わる。意識の中でつながることはできるけど。嫌いな人は、自分の意識に入れたくないから切りたくなる。
  • 亡くなった人は更新されない。別れても生きている人は更新の可能性がある。また、いやなことは無意識に入り、意識には上がってこない。
  • 嫌な人のことは、思い出さない。思い出すのは時間の無駄。自分にそんなことはしない。別れ、というのはまず関係があるから。関係がなかった人とは別れることもできない。関係が薄れて消滅するだけで「別れ」ではない。「別れ」はもっときちんとしたもの。
  • 夫がどう死を迎えられるかを考えていた時、キュプラー・ロスの本「死ぬ瞬間」を読んだ。心理的な五段階。受け入れられなかったり、怒りをぶつけられたり、祈ったり。その次には鬱になった。最後は死を受容したが、みんなの心に残るから、と言っていた。
  • 人間関係を断たないためにがんばった母がいた。でも苦しそうだったから、自分は逆に切っていった。妹の夢に亡くなった母が出てきて、新しいパートナーができたと言ったらしい。おめでとう、と自分も言ってた。母の夢が実現していたらいいな、と。まだ生きている自分にも…
  • 人を依存させる関係には近づきたくない。辛い記憶はそういう人たちに入れられていたと思う。無理やり、自分の脳に入れられた。罪悪感、義務感、恐怖感を使って入れてくる。
  • 別れる、はエネルギーが要ること。エネルギーが要ることをしなければいい。断捨離の後、せっかく少なくなったから新しい物を買わないようにしようとする。身辺がすっきりしていると人生が軽やかになる。物については、他の人が使ってくれるとほっとする。別れた後も、人でも物でも幸せでいて欲しい。
  • 二度と会えないことがわかっているのは死と同じか?と思うと、どれくらいの確率で会えないのが「別れ」なのだろう。
  • 転職活動で、まだ関係ももっていないのにハネられると悲しい。その前にわかればいいのに。そもそも履歴書は別れの記録。見られたくない。
  • 茶筅供養で、使い終えた燃やす法要がある。供養もひとつの別れ。役に立ってくれた茶筅への感謝がある。供養も別れの儀式のひとつかな、と。
  • 別れはどちらにも痛みが伴うもの。別れた後のことは、それぞれの問題。相手の問題。
  • みなさんの話で、別れっていいことなのかも…と思えてきた。辛いことではなく感謝しなければいけないことかもしれない。それまで自分に携わってきてくれた、神様が与えてくれた関係なんだと。辛い現実を見たくないから「去る者は追わない」と言っていたが、関係に感謝しなければ、と思った。
  • 人と人の出会いは縁起。その関係が他の人にも影響を与える。関係は糸のように織り込まれる。それをひっぺがすのは辛い。別れとはそういうもの。
  • 夫が亡くなってからの人生は自由でハッピーな時間をプレゼントされたと思う。別れは辛かったが、感謝している。

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