おなごテツ

女性限定哲学カフェ「おなごテツ」のホームページです。

3月25日(土)『AIに聞いてみた。「人を愛するとはどういうことですか?」』について考える

3月25日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『AIに聞いてみた。「人を愛するとはどういうことですか?」』でした。

以下は当日の発言録です。

『人を愛するとはどういうことですか』

☆AIの答え☆(2023/2/10時点)     

誰かを愛するということは、相手に対して強い愛情や配慮の気持ちを持つということです。これには、暖かさ、優しさ、思いやり、そして深いつながりと愛着の感覚が含まれます。愛は、その人と一緒に時間を過ごす、贈り物をする、精神的なサポートをするなどの行動で表現することができます。多くの場合、その人を幸せにしたい、その人の幸福と成長を支えたい、という気持ちが特徴です。また、愛は、人生に喜び、平和、充実感をもたらす激しい感情として経験されることもあります。しかし、愛にはある程度の無私の精神が含まれることもあり、愛する人のニーズや幸福を自分のことよりも優先させることがよくあります。

  • 恋とは何?と混じっているイメージ。
  • このAIの答えを導く方法が気になる。ひとつの事を深めている感じではなく、たくさんの人の考えを羅列している印象。
  • よくまとまっているなーと感心。うすっぺらいけど。言語化するとこうなるのか、と。目に見えない愛というものを言語で説明するのは難しい。
  • リアル哲学カフェで、愛についてAIのような意見を言った人に対して、「宗教的だ」と言った人がいた。
  • この文章は一方的な印象。愛は二人の間にあるものという気がするが、この文章では、推し活みたいな、ファンがもつ愛のようにも言える。AIは愛されるという経験をしていないから、愛し愛される関係というのは難しいのでは。
  • AIの文章は経験値がない。メタ的。他の場で、映画の感想を語る会があったが、男女では視点が違うのがよくわかった。AIの回答は男性的な気がする。自分で考えてない感じ。
  • 推し活してる人を分析している人が語っている語り口、みたい。
  • AIには、多数決の意見が出てくる。躾けられているからキレイ事になりがち。とすると、キレイ事でない「愛」はどんな感じだったのだろう…と思う。
  • 自分が言語化しても似たような内容になってしまうのではないか。客観的にものを書くとこうなるのか。愛は流動的なものと考えているが、それを固定化するとしたら、こうならざるを得ないかも。

『人を愛するとはどういうことですか』

☆AIの答え☆(2023/3/25時点)     

人を愛するとは、その人を受け入れ、尊重し、支援し、その人が成長し、幸福を感じられるようにすることです。愛するとは、相手の欠点や弱点を理解し、その人を補完し、癒し、強化することも含みます。愛することは、感情や性的魅力だけではなく、深い理解や思いやり、共感、信頼、忍耐、献身、そして努力も必要です。愛することは、自己犠牲を必要とする場合もありますが、その対象である人が幸福であることを願い、彼らの幸せを最優先に考えることが重要です。愛することは、家族や友人、パートナー、恋人、子供など、さまざまな人に対して適用されます。愛は、人生において非常に重要であり、幸福感や満足感を生み出すことができます。しかし、愛はまた、失望や痛みをもたらすこともあります。愛することは、自分自身や相手を傷つけたり、不幸にすることがないよう、慎重に行われるべきです。

  • 愛は傷つくこと。傷つかないように愛せるのか?相手を思い過ぎると成長を妨げることもある。傷つけあっていくのが愛では。不幸になってもいいよ、という覚悟で愛したい!
  • 愛することは本当に利他的なのか?愛したいから愛するのに。成長や幸福を願いはするけど、自分のためでもある。愛する=利他ではないのでは。
  • あまり共感できない部分がある。「彼らの幸せを最優先に考える」、とか。エーリッヒ・フロムによると、愛するを愛されるに置き換えているという。女性は、好きな男性に対して、魅力的な女性になろうとしがちだけれど、相手の幸せを最優先にする、というのは愛の在り方としてはどうなのか。 「慎重におこなうべき」と言われても、どうすればいいのか、と。相手を大切にしなければいけないが、自然に湧き上がる感情を「べき」と書かれると苦しくなる。
  • 三月版のAIには共感。「相手の欠点や弱点を理解し、その人を補完し、癒し、強化することも含みます。」…相手が破滅に向かう時に止めても、相手が破滅を選ぶ時、ついていけば自己犠牲になるし、別れれば自分を愛することになる。
  • 愛することは、成長や経験あってのこと。相手の思うままにさせるだけが愛情ではない。例えば夫がお菓子ばかり食べていたら健康を損ねるから制限するのも愛。でも相手は愛に気づかないこともある。
  • 映画「リリーのすべて」 夫に女装させて絵を描く妻。ある日夫は、自分は男性が好きだと目覚める。妻は葛藤しながらも、夫があるがままでいられるように手伝う。その行為は利他的だが、同時に自分も大切にしていると感じる。
  • AIはいろいろなものを吸収しながら成長している…忖度もしつつ。AIを受け入れることも愛かも。笑
  • AIの表現に違和感を感じる。 愛は意識的なものではない、と思う。むしろ、自分の中にもこういう感じがあったんだと後から気づく感覚。その前提ゆえに、AIに語られると違和感があるのかも。
  • AIは曖昧が苦手。言語化できることだけを述べるので、「だけ」がキモ。言語化できないモヤッとした部分を人間が担う? それをどう表現するのか。目に見えない部分に大事なものが含まれているのでは。
  • 違和感というセンサーは人間しかもっていない。
  • 情動、が人の魅力。でもそういうのはAIは語らない。目に見えない部分はわからないのだな、と。意識的なことは語るけど。
  • 多様性が認められるのも愛なのか。AIからは押し付けられている感じもある。
  • AIは、後から振り返ったのを分析している。後からこうなるかも、という可能性を提示してくれているのかも。今のAIはたたき台として使う人が多いが、ツッコミを入れることで人は気づける。
  • AIは正解を教えるイメージもあるが、AIの答えを見て、これは正解じゃないと思って読んだ方が面白いかもしれない。
  • 無償の愛という言葉があるということは、有償の愛もあるのでは。私はこんなに愛してるのに…とか。そう怒る人は愛してほしいから愛してた。無償の愛ではない。AIの語る愛は無償の愛、という感じがする。でも人が人を愛するのに無償の愛は難しいのでは。見返りを求めず人から愛されたのは個人的経験では親からだけ。 恋人同士の愛を考えると、見返りを求める部分もあるのでは。
  • 哲学カフェは愛にあふれている。愛は見守ること。それぞれの選択を見守ること。相手の選択も肯定的に見守る。深い愛を捧げるには、自分の供給する愛が枯渇させてはいけない。だから相手からの愛も必要。
  • 愛は定義が広い…
  • ホワイトデーのお返しがなかった。夫は普段は無償の愛とか言いながら…。相手を喜ばせようという考えが頭に浮かばないのだろう。それは愛がない、と思う。供給する側の愛のタンクがカラになれば出せない。
  • 一方通行ではなく、愛にも循環してほしい。恋人の愛と家族の愛はまた違うのかも。無償の愛でも贈り合わないと。
  • AIの答えに「ギブアンドテイク」ってあったら、面白いですね。
  • モノをもらうのがきらい。もらうと逆に愛じゃないと感じる。無償の愛にこだわる人が多い。母親はそれをもっているという世間の偏見もある。子供を愛する時、子供が幸せなら自分も幸せで、幸せを貰っているので無償ではない? 無償の愛にこだわると重苦しい。たとえ等価交換にならなくてもOKとすればいいのでは。
  • 無償の愛には毒性があることもあり、共依存は起こりやすい。相手が暴君になったり。エネルギーが循環する相互間のバランスが愛には必要。
  • 最近、みんな無償の愛を欲しがりすぎる傾向にあると思います。
  • 愛のもらい方上手と、愛のもらい方下手もありますね。
  • 夫が妻に尽くし、妻は受け取り上手という夫婦がいるらしい。受け取る=与えている、ということもあるのでは。目に見えるものだけが愛ではなく、相手にしてあげることがあることも、受け取っていることになるのでは。
  • 訪問介護士で、年老いたおばあちゃんの所に行ってテレビ見てるだけ。でもその介護士をもてなしてくれるおぱあちゃんは、それで元気になる、という実話もある。
  • 無償の愛という美しい言葉にも陰と陽の裏表がある。微妙なニュアンスがAIにはわからない。哲学カフェのように複数で考えると、AIの答えにはない所が見えて面白い。
  • AIへの危惧。人間の細やかなニュアンスよりもAIを信用する人が増えてくること。実際に少しずつそんな気配がある。
  • 現段階では、書類のたたき台を出す時、今は人のニュアンスで勝負することができる。でも今後、そのニュアンスまでAIが表現できるようになった時には、わからない。
  • <AIの回答に欠けているものは?という質問に対し> AIは沼落ちしない…。愛についてもその観点がないことが違和感。
  • もし自分が子どもでAIを使ったら、それが正解だと思い、縛られそう。 個人的には沼落ちするタイプだから、それを受け止めてもらえる場が必要。
  • AIに欠けているのは、ナラティブな肉声。無駄、カオスが欠けているのでは。ネットに上がっているものだけではなく、日常の生活感まで掬い取れば変わるのでは。
  • 慎重に気を付ける、というのはイヤ。むしろ愛は慎重さが欠けることなのでは。
  • AIの答えには、愛というものは利他的だというイメージがある。しかし愛には自己愛もある。自分の愛のタンクを満たした後に相手に与えるという話があるが、正しい気もする。自分を愛するという視点がAIにもあるとよい。
  • 質問の時点で「人を愛するとは」と聞いたので利他になってしまったのでは?
  • AIの答えは立派過ぎる…。この愛の定義に当てはまらない人でも愛せるのでは。それに、この定義に当てはまらない自分は愛されないのか?と。
  • 問いにおける「人」という範囲が広すぎるのでは。
  • 個人的な愛の定義。相手が笑ってくれたらOK。
  • 愛とは、頭の中に相手のことがよぎること。
  • 愛されなくても生きていけるけど、愛することができなかったら辛いのでは。
  • 愛する対象がない人生はむなしい。
  • 愛することと愛されることには時間差がない。
  • 人を愛するとは…。個人的には「存在の肯定」。 パートナーから愛されていると認識できるのは、自分の存在を肯定してくれるから。何もしなくても欠点も含めて、ありのままで存在していいよ、と態度で示してくれた人に愛されていると感じた。だから相手に対しても、存在を肯定する接し方は大切。意見は異なっても肯定はできる。
  • 自分が相手を肯定できることも幸せ。
  • 存在の尊重。あなたがいて私はうれしい、ということ。

 

**皆さまのコメントお待ちしています。**

3月25日のテーマ:AIに聞いてみた。「人を愛するとはどういうことですか?」

日時: 325日(土) 1330分〜1530


テーマ: AIに聞いてみた。「人を愛するとはどういうことですか?」

 今話題のAI(ChatGPT)に、「人を愛するとはどういうことですか」と聞いてみました。この回答をどう思うか、どう変えたいのか、どこがよかったのか等々、考えてみませんか。

(AIがどう答えたかは、当日公開します)

定 員: 20

 

参加を希望される方は「staff★nagotetsu.sakura.ne.jp(★を@に変換してください)」までメールでご連絡ください。

2月25日(土)『フェミニズムってそもそもどうなの?』について考える

2月25日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『フェミニズムってそもそもどうなの?』でした。

以下は当日の発言録です。

  • ウーマンリブのイメージに違和感があった。
  • フェミニズムは国家の政治の問題に関わる。
  • 一般の女性がフェミニズムについて話すことは非常に少ない。具体的なことを考える前に「フェミニズム」ってなに?ということについて言語化しつつ考えたい。ようやくそういう時代にきたのかな、と。
  • 女性自身があたりまえと感じている部分(家事は女性とか)が海中の氷山のように見えていないところも問題。そこに気づいていけたら。
  • ジェンダーフェミニズムの違いは?女性には無意識バイアスが強い。あたりまえに受け入れていること自体おかしい、と感じることがある。夫が子どもを連れて行く時、おむつ替えの場所が女性トイレにしかなかったり。男が子育てできないのはおかしい、という夫の意見もある。子育てしてない人が社会を動かしているのは変。
  • 男はどうせやってくれないと思って、つい女がやってしまう意識がある。そこを変えないといけないかも…
  • 人はやりたいことをやる権利がある。女性が外で働きたいと思ったら、男性のサポート的な仕事になるのは、やはり変。フェミニズムというより、平等に誰もがやりたいことに参画できるといい。そこを目的にして、なにをすべきかを考える方がよいのでは。
  • 男性の収入を補うために女性も働く場合は、家の中の仕事も女性だけに押し付けるのは変。生活バランス的に。
  • 育児支援をしている娘がいる。母親たちは疲れている。支援の場はすべて女性。横のつながりや共感を女性は大切にする。その場に男性が来ても入りにくいかも…。支援の形から変えなければならない。あたりまえを動かすのは大変。
  • 女性の方がフェミニズムの問題を知ると、自分が虐げられていたことに気づいて怒り始める。むしろ知らない方がよかった、と。知ると苦しいという意見がある。
  • 現代社会は、女性は男性のサポートという観点。そこから離れて主張しなければならないのは辛い。怖い。という意見もある。昔の女性は、自分がしてきたことを否定されるような気持ちになるのかも。
  • 男性は既得権益を崩されるのが辛いのだろう。
  • 文化とか慣習、習俗は悪いもの?それで守ってきたもの、受け継いできたものはある。それ抜きで、目覚めない方がいいというのは違和感がある。
  • 女は家庭で外で働く男性を支えるのがいい、というのは戦後の政策では。大昔からのものではないのでは。国策と習慣は抜きがたく刷り込まれいる。国力と人口は比例する。そこに気づくことも大切。
  • 性の問題に国が立ち入ることが許されるのか?
  • 女性の権利を認めることが、男性にもメリットがあるとわかれば、男女平等は進むのではないか?
  • AIを活用して人口が減る前提で考えるのもありでは。
  • 早く大人になる子どもが増えてほしい、と思っている人が多いのでは。育てる気持ちが欠如している。子どもを産んでほしいという国の考えとフェミニズムは一致しない。
  • 結婚せず子どもを産まない人に対して、同性からも厳しい目で見られることがある。男女平等なら女性も男並みに働けという人もいる。機能的ハンデ考慮しない男性もいて、それで犠牲になる女性もいる。現場感覚としてフェミニズムはむずかしい。
  • 多くの権利をもたない女性が男性並みにの権利を持つのがフエミニズムみたいな気もするが、必ずしもうらやましいわけではない。男女関係なく、それぞれがやりたいことをできる社会がいい。女性の方がなんにでもなれる可能性があるとも言える。男性の方が決まってしまっている。女性の方が選択肢の幅がある気がする。
  • いろんな事情で子どもができないこともある。でもそういう話はオープンに話しにくい。
  • 女の子が欲しいという女性が多い。母としては娘は老後の保険。男尊女卑で苦しめられていると、女に期待するのでは。
  • 子どもを小さい時から男女の差をつけることなく教育することが、男女ともにしあわせにやりたいことをする世界にもつながるのでは。
  • 今の社会保障程度では、自分の親は自分でみなければ、というところがある。しかし外注できるようになればいいかもしれない。保険料は高くなっても。家の単位で回すのでは女性にしわ寄せがいく。国として補助する必要があるのでは。
  • 自治体レベルでは保障が厚いところもある。人を増やしたいから…。子育て支援とか。介護保険の認定も自治体によって違う。
  • 介護、福祉を手厚くすることが自治体の資源になる可能性もあると思う。
  • 「女の平和」というギリシアの喜劇がある。男は戦争ばかりするからセックスストライキをしたら男性が降参する。という話。お互いかけひきして自分たちの目的に近付ける。
  • 十代の女の子が短期間風俗で働くのは自由意志?でもそれが長期間になると身体を起点にして語り直される。
  • 学校には『歯止め規定』というものがある。実は学校では、現実的に必要で具体的な性教育(子どもの作り方、セックスの注意点など)をしていない。性教育は学校にまかせられない。包括的性教育という考え方がある。親が家庭の中でするために行動しているが難しい…。民間から動くべきこと。男女共に知るべき。波を起こすきっかけ。
  • 『同意教育』も必要。人がいやがることはしない、という教育。たとえば「お茶を飲もう」と言った時、相手が「いやだ」と言ったら飲ませない。そういう基本的なことを教える。 
  • 堕胎経験のある少女たちと会ったことがある。恋人がいないと負け組、セックスしていないとだめ、みたいな価値観が少女たちにある。少女同士のマウントの取り合い。雑誌、ネットなどの影響。世代の文化もある。女の子がどう性に臨むか。
  • 子どもに幼稚園の頃、子どもはどうやったら生まれるの?と聞かれた。その時は絵本や人形を見せて教えたら、好奇心いっぱいに聞いてくれた。家庭の中で友達感覚で教えてあげるのもいいのでは。
  • 男女に性の知識を正しく教える機会、話し合える機会があって、ようやく平等になれるのでは。
  • フェミニズム、いろいろ問題があり、絡まっている印象。今気になっているのはフェミニズムが政治的に利用されてしまうこと。でも広く伝えたい時には利用できる。マイナス面だけではないかも。 
  • 自分の親は昔の価値観のように感じる。専業主婦の母が、子どもを産むことがとてもいいと言う。自分は若い世代と言われるが、古い価値観と未来の価値観の接続をどうするか。親、自分、未来の自分の子どもへの教育。
  • 世代の価値観と一括りにしても、生まれた地域によっても、価値観はいろいろ。母の価値観を否定したいが、実際には難しい。
  • 自分の親の教育というとおこがましいが、自分がフェミニズムについて勉強して納得したことを伝えて意見を聞くとかしてみたい。
  • 親の教育と自分の教育がセット。話しながら互いの歪みを矯正していく。フェミニズムの勉強は、自分が強くなる気がして楽しい。でもまだ頭で完結しているだけなので、親に話すことで動き始めると思う。

 

**皆さまのコメントお待ちしています。**

 

2月25日のテーマ:フェミニズムってそもそもどうなの?

日 時: 2月25日(土) 13時30分〜15時30分

テーマ: フェミニズムってそもそもどうなの?

女性たちからも「フェミニズム」ってよくわからない、うさんくさい…という声がありますね。一方では推進派も。
ほんとはどうなの? 今あらためて考えてみませんか?

定 員: 20


参加を希望される方は「staff★nagotetsu.sakura.ne.jp(★を@に変換してください)」までメールでご連絡ください。

※このテーマを選んだきっかけとなった100分de名著のフェミニズム特集についてはhttps://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/2023special/index.htmlをご参照ください。2月5日午前0時から再放送が予定されています。

 

1月28日(土)『住処を考える』について考える 

1月28日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは「『住処を考える』でした。

以下は当日の発言録です。

  • 住処を構成するのは、どこに住むか(場所)、建物(形)、中の家具など。それら全部含めて一つの住処になる。
  • 今自分がどういたいのか、を見るきっかけとなる。
  • わけあって、気に入った所から引っ越して、体調がわるくなった。住処は重要。健康で安らげる構造は大切。もし元気になってお金もあったら気に入った土地に移りたい。でも一方では縛られないノマドもいいな。
  • 裏日本から抜け出したい。住処は箱ではない。実家を売却しても寂しくない。将来はホテルサブスクが理想。
  • 生まれた所、嫁いだ所、現在の所。今は一人暮らしで満足している。孤独死でもかまわない。暖かい所はいいな。
  • 人生行き詰まった時、DVだったので子どもを連れて、まったく知らない県のシェルターに逃げた。名前も住所もなくなった時、アイデンティティがなくなり、住処とかどうでもよくなった。でもドールハウスにハマり、自分の理想を作っていたのかも。
  • 住処は自分が基盤となるところ。安心できるスペース。
  • ホームレスの方が一番欲しがっているのは住所。日本では住所が無いと何もできない。ノマド生活にしても、どこかに住民票を置く必要がある。拠点が必要。
  • 住所がないと自分の証明ができない。地縁もないと普通じゃないと言われる。
  • 保証人がいない人が増えていて、保証会社が入ってくれるようになったのはいいこと。でもまだ高齢者には厳しい。住所だけ置くシェアハウスもある。マイナンバーが普及して住所が必要なくなるといい。
  • 固定電話はセールスの電話くらい。でもそれを失くすとクレジット会社で問題が出るらしい。まだ日本人はそこにこだわる。住所が必要なくなるまでにもまだ遠いのかな。
  • 住む家が変わると自分のキャラが変わる。北欧風のマイルームなどあればオシャレするかも。そんなキャラを演じそう。住まいが雑然とすると、自分も雑になる。住まいの影響って人格形成にも。
  • 自分が落ち着かないと、キャラは崩壊するかも。その匙加減は相対的なもの。
  • 子供の頃から一人暮らしに憧れていたが未だに経験していない。自分の個性だけが反映された住処に棲んだことがない。住処まるごと自分の個性という人と、家族何人かで譲り合いをしながら暮らしている人とでは人格形成への影響が違う? オール自分の好みをやってみたらどうなるんだろう?
  • 自分の部屋がないと生きていけない。テリトリーに他人がいない時間がないと。他者がいると他者に合わせる性分だから。神のような絶対者と一対一で向き合う場所が不可欠。
  • サンクチュアリ(聖域)として一人の空間は必要。それがないと息苦しく疲れる。人がいると気を遣って消耗する。
  • 住所はなくてもいいが、周囲が怖がる。住民票ないまま数年生きていたが気持ち的にやさぐれた。周囲からかわいそうと言われたり。そうすると自分のアイデンティティが「かわいそう」になる。アメリカなどは住民票がないのに成立している。「話せばわかる」ところもあり、意識が変れば制度なくてもいけるのでは?

☆住処における優先順位を考えよう
  どこに住む?
  どんな建物?
  どんなレイアウト?
  誰かと住む?  
  なにを所有する?

  • 山と海がある所。大きな家。暖炉があったり。一人で住む。でも好きな人たちが来てくれる。泊まってもらえる部屋もたくさんある。最も優先したいのは、ノートパソコン。
  • どこに住むかを優先したい。建物やレイアウトはその時の経済力次第で何とでもなる。親族の近くがいいのか、離れていても自分の好きな場所がいいのか。
  • 誰と住むかが大事。部屋は別でも一緒に住む人はほしい。信頼できる人と住むのは大事。
  • 病院や本屋、カフェが近くにたくさんあるとか、利便性のいい場所が最優先。
  • 今住んでいる所から出たことがない。気持ち的には都会好きだけど、住むとなると、住み慣れたところがいい。カタチは平屋の小さな家がいい。掃除しやすいし。一番大事なのは誰と住むか。できれば子どもと住みたい。夢だけど。話し相手は欲しい。
  • 現状で満足してる。一人でいいし。今の家も全部自分の好み。
  • 具体的な条件以外に、本質的に自分が求めているのは何かを考えると、心が平和でいられること。家そのものの条件が悪くても、自分の心が平和で落ち着いていられればいい? 自分がありたい状態について考えてみたい。
  • バンワークしてみたら、仕事がしやすいことが大事、とも感じた。いつでも仕事できる環境。一般的な心地よさとは違う所に、自分の心地よさはあった。
  • 理想の住処には、自分の大切なものが反映されている。心地よさとか。
  • 心の平安は大事。ワクワクや面白さは人によって違う。でも自分には、あまりそういう特別なものはないと感じる。一般的にはなにを面白いと思うかで選定は変わるのだろう。
  • 住まいこそ、ワークライフバランスがとれていたら理想的。家の一角が書斎やアトリエとか。生活に緩急がつきそう。
  • 人は10歳までに住んでいた環境で落ち着くという説がある。広い家に棲みたいが、結局部屋の隅にちゃぶ台を置いているのでは? 実際にやってみないとわからない?
  • その家に自分もいてもいい、というのが大事。間借りとかじゃなく。家父長制がまだ残っている現在、いてもいいという安心感がない女性もまだいるかも。ここにいてもいい、っていう気持ちがあると安心する。
  • 以前参加した瞑想で、家をイメージするものがあった。そこには身体の状態も反映される。壊れる所があると身体にも、という相関関係があった。だから、家や所有物は自分の象徴であるとも言える。
  • 家のドア大事。外とつながっている。外ではがんばらないといけないから勇気がいる。家の中ではがんばらず自由でいたい。子どもが不登校の時も家はシェルターだった。そういう意味の「家」もある。自分らしくいられる基地。
  • 地球が住処、と考えると視点が変わる。それぞれの視点でそこを自分の住処と思うと大切にする。ちょっと引いて住処を考えるというのもあり?
  • 住処は心の中にあってもいい。自分にとってのホーム。
  • 引っ越す時、所有物をかなり捨てた。さみしかったが、好きな店をクローゼットと考えたりすることで救われた。眺めてみることができれば、それは自分の持ち物、とイメージした。
  • 前世、大草原の小さな家のローラみたいな人だったかも。幌馬車が自分の家になったり丸太小屋になったり。工夫次第、想像力で住みやすくなる。

**皆様のコメントお待ちしています。**

 

1月28日のテーマ:住処を考える

日 時: 128日(土) 1330分〜1530

テーマ: 住処を考える

     今、暮らしているあなたの家。
     そこは理想の住処ですか?
     住処は考え方や感覚に影響を与えているかもしれません。
     住処についてじっくり考えてみませんか?
  

定 員: 20

 

参加を希望される方は「staff★nagotetsu.sakura.ne.jp(★を@に変換してください)」までメールでご連絡ください。

12月24日(土)『賢者の贈り物』について考える

12月24日(クリスマスイブ)に行われた「おなごテツ」のテーマは「『賢者の贈り物』について考える」でした。読後モヤモヤしたという意見が多い中、自己犠牲とは、贈り物とは、等についてさまざまな意見が出ました。

以下は当日の発言録です。

●どうして賢者なのか。自己犠牲を払って相手のアイデンティティを支えるのが賢者? 真の賢者はどういう贈り物をするのか?
●この話を賢者とは結び付けなかった。前の年はこの人達どうしたのだろうか? 来年どうするのか? デラさんの方は髪は伸びるので、ジムさんの方が割を食っている? ジムさんは懐が広すぎる? このカップルであることが賢者? 個人的にはこういう賢者には縁がない。
●東方の賢者とは? 夫が高いドライヤーを買ってくれた日に髪を切って怒られてしまった・・。

◆東方の三博士(とうほうのさんはかせ)とは、新約聖書に登場し、イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。東方の三賢者(とうほうのさんけんじゃ)または東方の三賢人(とうほうのさんけんじん)という呼称も多い。

●妻の方は美しい髪を持っていても披露する場がない。夫の方も豪華な時計を持っていても見せる場がない。それにまつわるものを送り合ったということは、未来に対する期待がある。この二人が持っているものは現在のアイデンティティではあるが、現状には相応しくない。未来の可能性を考えて贈り物をしたとすれば賢者?
●こうやったら賢者になりますよ、と言われている気がする。幼少時、近所のキリスト教系幼稚園でこの類の話を聞かされていた。実体験ではこういうことをしても全く幸せにならない。むしろ、コミュニケーションを図って、お互いに欲しいものを聞いてはどうか?
●今時?と思った。これは子供に読んできかせたくない、こんな女性になって欲しくない。賢者とは違うんじゃないかと思った。会話をしながら欲しいものを探っていけばいいのでは?
●今気づきましたが、キリスト教の教えって、最後は自己犠牲で磔ですからね。
●これが賢者というのが納得できない。これがカップルとして正しいというのはちょっと違うのでは? もしこれが85歳のカップルなら賢者かもしれないが、新婚さんでこれをやるのは案外普通? これをやっていたら続かない? 来年どうするの?来年のプレッシャーに押しつぶされて別れるのでは?
●賢者の贈り物、って賢者という落ちですが、私の見た本では、「でもね。髪の毛はまた伸びる」とか「時計は質屋で取り戻せる」とか言ってて、取り戻し方法まで考えているので自己犠牲でさえないのかもと、どう理解していいのかよくわからなくなりました。
●小説家の話。私は愛する男のために人生を誤りたい。自己犠牲も自己満足かもしれないが、相手を喜ばせたいのは贈り物の基本? そこまで自分の事を思った贈り物を貰ったことがない。素晴らしい物を貰ったことはあるが、自己犠牲は含まれていなかった。
●愛や心を送るのも、時にはいいのでは?
●自己犠牲はプレゼントの価値に乗るのか?
●どちらかというと気持ち悪い・・。「最後の一葉」も自己犠牲のお話。作者は利他心を伝えたかった? 現実的には先に聞いて欲しい。
●昔からサプライズ志向ってあるんだなと思いました。
●お金が無いところがポイントだと思います。欲しいものを相手に聞けない?自分の所有物の中で一番お金になるものは?と思った時、自己犠牲もあり自己満足でもあるのかな。

◆「三つの贈り物にはそれぞれ意味があり、黄金は現世の王、乳香は神、没薬は救世主を表すとされています。 これは、世界の全てをイエスに捧げたことを象徴的に示している」…とのこと。

●愛する男のために人生を誤りたいのはその人の性癖。自己犠牲とは少し違う? この人たちは来年もやりそう。心だけを贈り合えばいいのでは? 男の顔を立てて夫のプレゼントのみ受け取るというやり方(妻は髪を切らない)のもアリ?
●質屋に入れるという行為が嫌。どうしてこんな高価なものをお互い渡しあうのか? 少し冷静になって考えた方がいいのでは?
●心と言うなら、心をくれればいい。なぜ物に走るのか?
●髪はまた伸びる、時計も質屋から請け出せばいい、となると自己犠牲ではない?
●サイレントというドラマ観ましたか?健常者と聴覚障害者の恋愛ですが、この話に似てると思います。自分のしたいことをすべてやめ、一方的な愛情が、うざく、重く、苦しいのですが、最後は、その気持ちにやられるのです。
●お互い様なので美談だが、片方だけだったらどうなのか? 男性は時計を売ったことを隠せるが、女性の髪は隠せない。男性は毎日その短い髪を見なくてはいけない。自分の貧乏の為に髪を切ったのを見るのは男性として辛い。全く賢くない。あるいはものすごくあざとい?
●普通は、できないですよね。それが重く感じますよね
●クリスマス、自己犠牲、プレゼント、等のキーワードを組み合わせて作っただけの話? この二人はこの関係に酔っているだけ? 現実回避?来年は肩たたき件とかになるのでは?
●専業主婦からのプレゼントに対して、夫が自分の金だろう、と言う。どうかと思うが、やはり妻としても自分のお金で買いたい気持ちはある。
●バレンタインがいつの間にか自分にチョコレートを上げる日になっている。プレゼントってすごく難しい。
●自己犠牲の果ては自分を大切にすることに向かう?
●自己犠牲は、普通はできないから、それが何よりの贈り物なのでは・・・その時代の自己犠牲。自分の大事なものを手放す。髪、時計・・・。
●贈り物の構成要素とは?
●彼らは純粋に愚か。愚かさが極まって賢者と作者は言っているのでは? 何も考えていないところを描きたかったのでは? 作者の言葉にならない悔しさを感じる。現実にはなかなか無い話だからこそのクリスマス。
●でも二人が本当に愛し合っていて、いつも満たしあっている場合で純粋に相手を思いやっている場合なら賢者の愛が成立するかも。
●イノセント。純粋に相手を想うのが極まると愚者から賢者になる。相手が大切な物をより輝かせようと思って選んでいるのでやっぱり賢者? 時代背景としてお金が大切だった? 何とかして愛する者の為にお金を作りたかったのでは?
●相手が望む物を送るのも大切だが、自分に今できることしかできない。目の前で倒れた人に対して何もできなかったが、その場にいてあげる、求められたら何かをする、自分にできることをした、それが形になったら贈り物になる? ただ居る、言葉をかける、も贈り物?
●具合が悪くなった人の世話をした体験。後ですごく自分を責めてしまった。他にもっと何かできたのではないか? 後で過剰に悩んでしまった。賢者の贈り物の二人も過剰?
●後半。プレゼントに何を乗せるのか? どんなプレゼントがいいのか?
●受け手の受け止め方でプレゼントは決まる? プレゼントは関係性?
●鼠小僧のような義賊はプレゼントと言えるのか? 関係性が無くてもプレゼントは成立するのか?
●寄付はプレゼント?
●義賊は喜捨、かな。
●貰って嬉しいのは見返りを求めないプレゼント。職場でもらうチロルチョコのようなささやかなもの。ただ上げたいから上げる。貰う側も遠慮しなくていい。贈り物で辛いのは、お返しができないようなものを貰うこと。変に高価なものを貰うと苦痛。お返しを負担に思うのは相手と自分の間に分離感がある時。ジムとデラは一体感があるので負担感が無いのでは? ある友人からエネルギーを込めたプレゼントを貰った経験。お返
●一体感無く、自己犠牲をして贈り物をしてきた。相手が喜ぶだろうと思って送ったが、相手は喜んだかどうかわからない。それでも送り続けた。空気が読めない。自分のいいところは、エネルギーを注いであげても見返りはもとめないところ。
●モノのやりとりが嫌い。子どもとはしたけど。大人になったらやめた。子どもに理解してもらえたことがプレゼントだった。でももし若くて絶世の美女だったら、小野小町みたいな無理難題を相手にふっかけて無意味な労力を使わせたい。
●お歳暮などの慣習とプレゼントが分かちがたい? 欲しい物を欲しいタイミングで送るのは合理的。プレゼントはサプライズの要素がある。合理性を追求すればお金を渡せばいい。プレゼントをあげる大人は喜びの反応が欲しい。
●自分で自分のことを満たせていないことと関係ある?
●私は、子供に自分の思い(自己満足)で贈り物をあげていました。慰めではなく、本当に後悔しているからです。
●自分の心を使っていないプレゼントはつまらない? 子供の頃親がサンタさんをしてくれたのはいい思い出。何が置いてあっても嬉しかった。何がどう作用したのか? 架空の存在がプレゼントをくれたことが、自己肯定感につながっていたのかも? サンタさんシステムはすごい。親ではない第三者がいい子を肯定するメッセージ。
●子どもに指定されるだけは嫌だと祖母に言われ、食事会などを企画しなければいけなかった。
●子供の頃はサンタさんのプレゼントが純粋に嬉しかった。大人になるとそこまでの喜びは無い。あれはなんだったんだろう?
●ジムとデラは上げることしか考えていなかった? 上げて嬉しかった。貰うことは想像していなかった?
●夫婦の会話で、妻はプレゼント交換はしたくない、夫はサプライズがしたいと言う。相手から愛されている、守られているという感覚が欲しいのでは?
●プレゼント自体がイベント。子供の頃のクリスマス会でのプレゼント交換は相手がわからない。自己表現ではあるが楽しい。プレゼント大会というイベントの方が楽しい? 贈与論。相手をコントロールするための贈り物。
●夫婦間のプレゼント観の違いの話、旦那様、贈りたい気持ちを、相手に要求してはいけないよね。自分の自己満足で終わりでしょう。ほんとに相手にしたいことなら、相手が拒否しても嫌にならないはず。ちょっとは凹むけどね。
●私は、息子に勝手に送ってます。感謝されませんよ。でも、私が、あげたいのです。うざいことも重々承知。でも家族だから許してほしい。
●夫は何かワクワクすることが欲しいからプレゼントを贈り合いたい、妻は日常で満足。非日常があるからこそ日常に戻れる、そこを大事にしないとと夫は言う。賢者の贈り物でもクリスマスの特別性がカギ?
●プレゼントは成功する確率が低いやりとり。成功したら奇跡? 難しくて当たり前。奇跡が起きれば楽しめる?
●サンタさんはその日だけにやってきて、子供が寝ている間にこっそりと置いていき、何も見返りを期待しない。好きな人じゃないとダメかも。嫌いな人からはイヤ。好きな人との間のプレゼントはお互いが幸せになる。
●プレゼントを貰ったら喜ぶことがお返し。リアクションが大事。賢者の贈り物のお話でも、二人が喜ぶシーンが無いのがモヤモヤの元。

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今年おなごテツにご参加くださった皆様、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
世話人一同)