おなごテツ

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4月22日(土)『「リアル」とは』について考える

4月22日(土)に行われた「おなごテツ」のテーマは『リアルとは』でした。

以下は当日の発言録です。

『リアルとは』

 

  • コロナ以降人間関係がバーチャルになり、人生や生活感の手ごたえがなくなった。舞台の書き割りの世界のよう…。人がいないとリアル感が喪失する。
  • リアル感がないのも慣れて楽ではある。自分がバーチャル世界に移行しつつあると感じるが、生きている実感が乏しいのでやはり辛い。
  • 今は地方都市に住んでいる。昔は東京にいたが、都会の方が雑踏にいてリアル感があった。
  • 人のいない都会は直線的でリアル感は薄かった。地方の曲線の方がリアル。
  • 地方は人間関係が濃く、リアル感がある。見せる、見られるということが実感できることがリアル。「本当」というのは見せないもの。
  • 自分の「リアル」は、人によって見せる見せないを切り売りできる。
  • 「見せる」「見られる」をともなったものをニセモノという人もいる。
  • なにがリアルかわからない。ある問題が起きて、謝罪する必要があった時、どうしていいかわからなかった(どう解釈するか)。 謝罪メールの文章が自分では思いつかなくて、他の人に聞いたらピンときた。自分のリアルがわからない。どちらを選ぶかで、次に起きるリアルが変わってくる。
  • 主体としての私が考える実存的な本質を指してリアルというのか。自分に関して加工していて、本質は別にある? …私は、自分=リアルで、外部に関して「リアル」「バーチャル」と考えていたけれど。
  • 実存的な本質を決めるのは「神」。「ほんとうの私」は外から決められている。
  • リアルというのは現象の側にある。現象学的に還元されるものがリアル。
  • 現象を捉える時に、自分の判断・操作が入る。判断を放棄することさえも操作だから。
  • 子どもの頃に思い込まされたコアビリーフ(無意識に刷り込まれた価値観)にに動かされたものはリアルではない。でも外から見たら、それが「リアルな私」と受け止められるのだろう。
  • バイアスがない人はいない。無意識に入っているもので判断する時、本質的なことに導かれていない時、違和感がある。
  • バイアスがかかっている刷り込みも含めて今の自分がある。それをリアルと受け止める。泥の中から咲く蓮になるには、まずリアルを受け止める必要がある。
  • 本来の泥臭い自分にもOKを出すことで、楽になる。がんばりすぎた自分を捨てる。
  • 自分の中の原型を統合させるのがリアルな自分。シャドーやアニマ、アニムスに問題があると、現実に問題が起きてくるとするのがユング心理学
  • インナーチャイルドを癒す。自己の原点に戻って傷を癒し、自己実現する。

※参考:アニマは男性の集合的 無意識の中にある女性像の元型であり、女性らしさを担う。 それと対照的に、アニムスは女性の集合的無意識の中にある男性像であり、男性らしさを担う。

  • リアルは切り貼りできそうなもの。ほんとうの私も探りたいが、リアルな私というのは、人からどう見られたいかで作っている。他者視点ないとリアルがわからない。
  • リアリティが神。目に映るものがすべてで最上のものと考えてみる。現実を否定しない。解釈を入れない。
  • 本当の私なんてない、こだわらない。神のような絶対的なものと向き合うことで方向はつけつつも。
  • リアルな自分にはこだわらないけど、本当の自分のことは知りたい。人との関りでそれを知ろうとしている。質問等で引き出されたり。誰かと真剣に向き合い、形にする必要がある時、自分はなにを考えているのかわかる。真正面から人と関わると得るものが多い。
  • 自分が「書く」ということは、化粧をやめて鎧を脱いで書くのがリアル、と言った人がいた。でも私は、化粧も鎧も自分のリアルだと思う。
  • 違和感のない自分の顔は「素顔」ではない。化粧した顔の方がリアル。
  • お化粧しない方がリアルな人もいる。
  • お化粧には、自分のポテンシャルを活かそうとする意味と、自分がきらいだから隠す、という二方向がある。磨きをかけるのがリアルなおしゃれ。自分から遠ざかろうとするおしゃれはリアルではない気がする。
  • 整形もメイクも画面補正も、本人が選んで得た結果なら全てリアルだと思う。
  • 演出して自分を表現するのもリアルでアリだと思います。
  • お化粧も、自覚してやっている限りはリアル。何となくやっているのはリアルじゃない。
  • 自分が創ったリアルにのっとられた人がいた。
  • プロフィール写真。マッチングアプリで、実際会ったら写真と違う人もいる。アプリは写真のイメージが大事と言われている。目で選ばれることが重要な世界。FBのプロフィール写真は、他者に持ってもらいたい自分のイメージ。今は目的に応じたものにしているが、写真が素敵すぎて、そこに近付きたい、早くいかなきゃと感じる。差を早く埋めたいと感じる。
  • 母の遺影。昔、撮って用意していたものは表情が固く、違和感があった。母が亡くなって探したが見つからなかったので、スナップ写真を切り抜いて遺影とした。その方が自然な笑顔でよかった。ありのままは美しいな、と。
  • 娘のプロフィール写真を見せられて、違和感あったけど褒めてほしそうだったから「かわいい」と褒めた。そしたら、「きれいに生んでくれてありがとう」と言われた。びっくりしたが、娘は幸せそうだから、それがその子のリアルなんだな…と。
  • コロナ渦の時、マスクの顔がリアルになって、感染症が収束しつつある今、マスクを外すのが恥ずかしいと思う心理も、すでにマスクの顔がリアルになったということなのか?なんでも慣れてくるとリアルになるのか。でも半分のっぺらぼうなのですけど。
  • フランクルのロゴセラピー。抗えない状況でも自分の人生にyesと言う。本人がよければそれがリアルで幸せ。
  • 「今の僕たちのリアル」というコピーを見て、リアルは普段は表に出ないものというイメージをもった。普段表に出ていないものが垣間見えると胸を打つ。誰もが、自分が隠しているリアルは何となくわかっているのでは。見えにくくなっているリアル。
  • ギャップにその人の本質を感じることがある。それが垣間見える瞬間、それがその人のリアルと感じることがある。
  • テキストだけの付き合いだった人たちとリアルで会った時、テキストだけの自分のキャラを作っていた人がいて、実際とは全く違って驚いた。
  • 小説を書いていて、キャラを設定すると、自分の中にもそのキャラがいることに気づく。自分自身にとっては、そのキャラもリアル。
  • 多重人格の人のドキュメンタリーを見た。全ての人がその人の中にちゃんといる。「本当の自分」が誰かなんてわからないのでは…
  • 自分の中の見えないバイアスを外すのに、キャラを変えて演じるのはいいかも。

 

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