おなごテツ

女性限定哲学カフェ「おなごテツ」のホームページです。

7月22日:輪になって語ろう--ピース・メイキング・サークル--

今回は「ピース・メイキング・サークル」という手法を試してみました。
ネイティブ・アメリカンの風習から生まれた対話方法で、本来は焚火を囲んで輪になって座り、一人ずつ順番に語り、次の人に回していきます。

今回はオンラインなので、以下のルールで進めました。

  • 表示名の50音順で順番に回す(1回目はあ→わ、2回目はわ→あ)。
  • 前の人の話を受けても、受けなくても良い。
  • 話すことが思いつかなかった場合は「パス」と言う。何回でもパスできる。

また、テーマを当日発表し、その場で考えたことを話すこととし、テーマはネイティブ・アメリカンの格言から2つ選びました。
1つのテーマについて2回転した後、後半ではこの対話方法についての感想や問題点、従来の挙手方式との比較等について自由に語る時間としました。

以下、発言録です。

【一回目】格言:寝たふりをしている人を起こすことはできない

・何か方法はありそうな気はする。
・寝たふりをしてる人には、そのままだともっとひどいことになるよと教えたい。
・なぜ起こしたいのか? そのひとは起きたいのか? 起きたくない人を起きたくなるようにする?
・会議などで穏便に済ませたくて発言しない人(兎)がいる一方で、その人を脅す人(狼)がいる。理由があって寝たふりをしてるのに…。それをみて嫌だと思った。人には許容範囲があり、それに応じて行動しているので、寝たふりをした人は起こしてはいけないと思う。
・寝たふりをするにも根性がいる。継続は力…。寝たふりをする人(兎)はフリをしてるだけ。絶対に起きないひとは死んでるかも…。
大河ドラマで兎と狼の話があった。狼を目にすることはほとんど無いが、兎はよく見る。それだけ繁殖している兎のほうが実はつ強い?
・天の岩戸方式で起こすこともできる。起きない人を起こしたい側の気持ちはどうなのか気になる。
・寝たふりをしてる人の隣で一緒に寝てみたらどうなるのか。寝たふりしてる人に対してやれることはたくさんある。
・寝たふりをしたいだけの理由があるのだろう。気配を消したいのだろう。前出のエピソードで、相手を征服することばかり考えていた狼のような人は、そこには刺激がないと知って消えていき、おとなしい兎が残った。過剰に人に要求する人には個人的な欲望がある。兎はそうではなく自分の身を守りたいだけ。
・兎には二種類ある。自立できる人と依存する人がいる。
・依存してくる兎は面倒くさい。身を守るう兎は、己を知ってバランスを取っているのでは。寝たふりをしている人は周囲とバランスを取っている。電車で寝たふりしてる人もズルい人ばかりではないのでは。若い人を怒る高齢者もいる。どちらがいいかは一概には言えない。
・狼と兎の比喩は過去の会議の記憶から導かれたもの。その比喩では、寝てる人は兎、起こす人は狼のイメージで、狼はコントロールしたがる征服者。兎はそれに抵抗する。
・人を起こしたいときはおだてる? 狼は起こしたいというより征服したい? 寝たまま叩いている。
・狼は寝ている奴が許せない。起こして土俵に上げなければ気が済まない。


【二回目】格言:死はない、ただ世界が変わるだけだ

・死んだ自覚がなく、見ている世界が変わるだけ? 違う世界に旅立つ?
・自覚して死にたい。
・自分という存在には意味も価値もない。個人がいなくなってもこの世界は変わらない。自分が死んでも世界はあり続ける。個人の自我にそんなに意味はない。
・ただ世界が変わる、と思ったのは誰なのか? 死によってダイナミックに世界が変わる。無に還ったのか存在しなくなったのか。死んだ時も生まれる時同様自覚がない。とすると、死はないといえる。でも世界は変わる? 謎。
・死んでもその人はいる。残された人の中にその人がいる。
・難しい言葉。死ぬ直前は意識はある。生きている自分には意識がある。死んでしまったら自覚できなくなるかもしれない。死んだ後のことは誰も知らない。どこかにいるとしたら、今見えている世界ではない場所。なかなか言葉にならない。ドアをあけて違うところにいく感じ? その向こうになにがあるかはわからない。遺された側からの視点もおもしろい。
・残された人の視点が思いつかなかった。残された人の視点で見ると、世界が変わるというのがピンとこない。亡くなったひとの記憶はあるが、思い返すと、もし父が生きていたらおもしろいこと言ったかな、と思う。
・私が死んだら私の世界が終わる。でも死ぬとは思っていなくて、残った人の世界に自分は残るのだろう、嫌だけど…。
・死はない。生はない。ただ世界は変わっていく。人口も減る。そう思うと世界は変わる。神の視点からみると、生も死もない。数値は刻々と変化するけど、変わらないんだなぁ、と思う。虚無的な視点。神の視点の冷徹さ。
・家族の死を想い出す。死んでいくのは見ているのだけれど、あの人たちは本当にいたのか?という思いも湧く。実感がない。ただ思い描いていたキャラクターのような。世界が変わる、というのは、彼らがいない世界に私が入っていくような感じ。
・死もない、生もない。死ぬ時はパッと消えたい。世界が変わる、というのは可能性の集積。
・考える時間があまりないのがこのピース・メイキング・サークルのおもしろいところ。精神的なバックボーンが気になる。見送る側の視点にたつと、この人本当にいたのかなあという感覚もある。記憶はある。空間からいなくなって、その時点でフィクションみたいな、証明できるものがないというか。そもそも世界って何? 見えているこの世界もフィクションなのでは。死も無い、生も無いのかも。
・変わる可能性がある。
バタフライエフェクト。変わる可能性。死も生も無くても波紋は広がり、変わる可能性はある。直接大きな影響を与える人でなくても。
・見え方が変わる。自分の見方や環境が変わると。
・「死」「世界」の捉え方がみんな違う。
世界線パラレルワールド。でも自由意志がない立場からすると、その可能性はない。

【後半】--振り返り--

・普段の対話では、人の話を聞いてから話そうとするけど、つい被せて話してしまう…。順番に話すという方法はありがたい。話す機会が平等だから。話す時間の設定もないし。手を上げるタイミングの難しさを気にしなくていい。
・(後半は予約挙手無しにしたことに対して)挙手のタイミングが難しい。
・(テーマ1で話題に上った)兎さん達は、順番が回ってきたとしても、無難な答えをしたのでは。回ってこなければ、それでありがたいのでは。
・順番に回ってくると、各々の世界観が違うので付いていくのが大変だった。リラックスできるからできるのだろう、とも思う。
・即興だとくだらないことも言える。リラックスも大事。
・順番性だと、少し前の人に質問したい時、聴きにくい(その場で確認できない)。安心できる人だけだったからよかった。共通理解のあるコミュニティではできるが、パワーバランスのあるところではむずかしいかも。今日は六人という人数だったのもよかった。個人の資質も関係ある。
・発言録を取る人は考えられない。少人数はいいが、スピードが速い。意図的にゆっくり話す、間を置いて考えるとかいうこともあってもよかったかな。時間制限を外して普段より長くなってもいいという話にするといいかも。
・次の人に回す前に数秒おくとか。
・次の人に回す何かをバーチャルでも用意できないか?
・面白かった。リラックスできて。
・夜、少人数で灯りを消した状態ですると、雰囲気が瞑想的でいいかも。即興的に話題に取り組むのは楽しかった。
ネイティヴ・アメリカンの格言という切り口もよかった。いつもと違って。
・時間帯による対話の違いも面白いかも。
・おもしろい。いいツールだと思う。ただ、これは哲学対話なのか?と言う人はいるだろう。でも他の場所でもしてみたい。その時、どう言えばいい?
・今日はパスがなかったが、パスありという意識があれば、考え中ならパスしてもいい。パスが続くこともある。そうすると、挙手制とはそんなに違わないかも。即興のおもしろいところは、考えが深まっていないときに感覚的に言葉が出ることがある。普段の哲学カフェで出ないことも出る。プラスアルファがある。パスに抵抗がなければ、ゆったりとうまく回るのではないか。
・パスを誰かがすれば抵抗がなくなる。哲学対話の形式としても問題はないのでは。感情から入っても、他者の意見で哲学的にも考えられる。
・感情や感覚も大事。価値観は感情が動くと変る。
・ガチな哲学カフェって何? 何をもって哲学カフェというのかは人それぞれ。ちゃんとフィードバックがかかるものが哲学カフェ。でもうまく説明できない。
・議論好きな人が場にいると、感情的なことが話しにくい。でもおばあちゃんや若い人でも、ふとした会話ですごくいい話をされることがある。型どおりの議論より、ささやかな感情の発見も語りたい。でもそれは迷惑と言われると驚く。感情を含む対話も魅力がある。似た者同士ですればいいかも。
・ムーヴ。転がる、動く、そんな瞬間を作りたい。感覚、感情もある。論理で動く時もあるので排除する気はないけど、動かない場には抵抗がある。これが哲学か?と。そういう場には魅力は感じない。それが今感じている哲学カフェの疑問。
・似た者同士だけでは転がらない。人が変わったり、目先を変えたりも必要。
・知人に哲学ってなに?と聞いたら、不変を愛すること、と言われてびっくりした。変わらないのはいやだな、と。動くほうが好き。知人の言った意味は、不変なものを探すのが哲学?

この後の雑談タイムも、哲学対話のあり方についての話が尽きませんでした……。

※今回のカフェについて、なごテツブログにも記事を掲載しています。