おなごテツ

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2021/8/27(金):自立と依存

8月27日に行われた「おなごテツ」のテーマは「自立と依存」でした。以下は当日の発言録です。

 

  • 「自立」「依存」は、女性の中でテーマになりやすい。
  • 精神的なこと、経済的なこと、軸が二つある。片方では自立していてももう片方では依存していることもあるのでは。
  • 二つの軸が連動するとは限らないのでは。
  • 依存しながら自立するのは考えにくい。依存というのは、これしかないと生きられないみたいなのが依存ではないか。
  • 結婚して経済力のある男性に養ってもらうのが幸せという価値観の中で自立するのは難しい。
  • 依存=アディクト(中毒)と、依存=頼る。このふたつがある気がする。この二つのどちらの意味で「依存」を語るかによって、イメージがプラスかマイナスか変わっていく。
  • 交感神経と副交感神経みたいな関係、自律と依存。緊張しているのが自立。ダラッとするのが依存。どちらもバランスが大事。依存も悪くない。マイナスなイメージをもたれるのは、なにかがないと生きていけない状態は本人にも辛く、依存される方も辛いから。
  • お互いに頼り頼られ、というバランスが自然かもしれない。
  • 体の不自由な方はある程度依存しないと生きていけない。共依存ではなく相互依存。
  • 自立と依存は混在する。中間的なところに身体性がある。他者の体に触れることで自分の輪郭がわかる。自立の「立つ」も、重力に依存しているといえるかもしれない。自立と自律なら、自律の方が大事ではないか。
  • からだの輪郭=自分の存在の肯定、といえる。人は一人で生きていけない。依存というのは必要なことではないか。相互依存。 共依存はキツい。
  • 共存はみんなで支え合う。依存はひたすら相手から奪うイメージ。
  • 共依存の関係にある人は、キツいと言いつつそれがないとだめなこともある。依存されてイヤな時は一方的に時間や気持ちを奪われている。バランスが悪い。
  • 関係性の中で依存と共存が分かれる。受け取り方もあるかもしれない。
  • 依存を広くとると「相互依存」。これはお互いが自立していることを前提にしている。 
  • 搾取されていると思う時と、相手の役に立てていると思う時がある。搾取か搾取じゃないかは、どう違うのか。
  • 自立の意味がまだはっきり見えてこない。どこまで含んで自立なのか。
  • 完全な自立はないのでは。ではなにをもって自立というのか。
  • 悪口が多い人は依存している。
  • 期待値が高く、相手に期待しすぎると相手に負荷がかかる。一方的な搾取はない(断ればいい)。でも断られることを前提にしていないと依存になる。 
  • 障がい者の人が依頼する時は、相手が断るかもという前提で依頼しているから依存ではないと言える。
  • 相手が一方的に欲しいものを求めてきて、それが与えられるまで求めてくるのは搾取。求めてくる側は自分しか見ていない。
  • 依存する人は自己愛のなかに溺れていく。
  • 最初は役に立ちたいと思っても応じきれなくなることがある。バランスが大事。
  • 「自立」は、立っているように見えて対象物がくっ付いている。(~から自立している、みたいな) 「依存」の方が対象がないのでは。
  • 「近代と伝統」、「破壊と創造」といったものも「自立と依存」に近いものがあるのではないか。生まれて滅していく。…そういうものに近い、「自立と依存」。どちらも必要。変容し続けている。
  • 社会や組織にも自立と依存があるのでは。 社会ルールに依存しながら、社会ルールは自立している。 
  • 自立した国家はない。日本の食料自給率低い。海外に依存している。社会システムも依存。
  • 長いスパンで時代とともに変容していくというイメージ。同時に一瞬一瞬入り混じっているイメージ。一人の人が生きて死んでいく。社会もまた生きて死んでいく。万物は流転する。
  • 依存している人の中に自立の萌芽が見えることもある。
  • 自立が人生のテーマだったが、それは親に依存していたから。逆説的に、自由で自立できていたのは親が許容してくれていたから。 自立と依存は背中あわせ。裏腹。分かちがたく一人の人の中にある。 自立が許されたのは人のおかげだった。
  • 親子においては依存が自立を支えているかも。相互依存の前提として自立があるのとは別パターンで。
  • 一人で生きられる人はいない。国もひとつだけで生き残ることは難しい。他者と関わる必要がある。 一方的に与えたり、もらったりするとき、感謝が間にあれば「搾取」にはならない。 「自立」とは感謝できることでは。
  • 自立には経済的自立のイメージがあったが、人に頼ることもそこに含まれるかもしれない。 ある生活保護を受けている人や専業主婦も強い生き方といえるのでは。 「生きたい」という想いから、もう一歩先のステップ(自立)に移行するための依存状態。
  • 「女だから、そんなこと言っちゃダメ」というバイアスを蹴散らすことも、ひとつの自立かもしれない。
  • 弱さを認められること=自立。 大丈夫って言える人ほど大丈夫じゃない。弱みを出せる人の方が、ある意味強い。
  • 主婦が経済的には自立していなくても、自分の役割を果たしていれば「自立」していると言える。 ゴミ屋敷のお金持ちの方が自立していないのでは。
  • 専業主婦で、胸を張って「専業主婦です」と言える人はカッコいい。気高い人がいる。卑屈になる人も一方でいる。そのメンタリティの差が「自立」。
  • こんな話がある。…一人で生きることになった少年が、世話になることになった村で「なにができる?」と聞かれ、物語を知っているから話せる、と言った。 これが本来の「仕事」ではないか。 自分がなにかしらできることをして役に立つことが「自立」といえるのでは。
  • 以前、ペットも人の役に立っているという点からは自立しているのでは?と言われたことがあり、もやもやしている。
  • ペットは自立してない。自分のことを選択できないから。飼い主にとらわれているから。子どもも面倒見てもらわないといけないから自立していない。 自分で自分のことをコントロールできるのが「自立」。 
  • 赤ちゃんは親が「自立」するのを助けている。ペットは飼い主を。それらがいるから、自分が自分(母あるいは飼い主)でいられる、とも言える。 
  • ゴミ屋敷のお金持ちの孤独な人が自立しないのは、「自立」させてくれる他者がいないからではないか。
  • 高いところにあるものを無理に取ろうとした時「それは、取って、と言えばいいんだよ」と言われ、それを頼むことによってコミュニケーションになった。 …「自分でできることを、あえてしない」というのも一つの考え方。人に頼ることは悪いことではない。助けを求めてもいい。そこから愛のあるコミュニケーションが生まれる。
  • 弱さを認められる人は「自立」している。 …命はそもそも与えられたもの。そもそも自立できない。何をしていても、「おかげさま」がある。自立していると言っても、所々に依存がある。 さずかった命を生かすためのスキル=依存といえるかもしれない。
  • 自己犠牲とは、自立か依存か。
  • 外からみたら同じでも「自己犠牲」的にしているのか、楽しくてやっているのかは本人にしかわからない。 マゾヒストなら自己犠牲でも自立しているといえるかも。
  • 家族の関係は外からはわからないが、自立、依存、共存、それぞれのバランスが人によって違う。「自立」「依存」ってなんだろう?

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