おなごテツ

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11月26日(土)大人の遊び

11月26日に行われた「おなごテツ」のテーマは「大人の遊び」でした。「遊びとはなにか」「大人と子どもの遊びの違い」「仕事と遊びの違い」など、さまざまな意見が出てきました。

以下は当日の発言録です。

  • 50代になってから大学院に入り直した。学びが捗らなくなった時に占い師さんに話を聞いてみると、「あなたはもう(学びに)飽きています」と言われた。それを聞いて、自分にとって学ぶことは遊びだったのではと思った。人生において二度とない貴重な遊び。未知のものに挑戦することが大人の遊び?
  • 子供の頃、親(や大人)が決めたこと(習い事や遊び)で過ごしたことが多かった。大人になってからは、時間とお金を自分でやりくりする必要があるから、能動的に遊ぶ。一生の時間は決まっているので、とりあえず一回やってみたいことをやっている。趣味や習い事は、大人が自分で選んでやっている感じがある。
  • 子供の頃は、なんでも遊びだった。大人になると、そういうものは遊びと思わなくなる。慣れて面白くなくなり、遊びというレッテルを貼れるものが少なくなったから? 未開の領域に遊びがある気がする。そこに自分なりの遊びがあるのかも。
  • 大人は目的などを意識して遊ぶ。純粋な遊びは必要か? (アリとキリギリスの)キリギリスにはなれない。先に遊べない…。
  • 私はキリギリスで、先に遊ぶ派。メメントモリという言葉がある。いつかは死ぬのだから、この世に生まれた以上は何でも知りたい。ワクワクすることを片っ端からやってやった。60になって大学院生活も経験し、楽しかった。私は好奇心の塊。お金も使い果たした。
  • 私はアリ派で、先に嫌な事を片付けて、楽になったら遊ぶようにしていた。でも、ある時から刹那的になった。頑張れた頃は、自分に余裕があった。しかし年齢を重ね、体力も気力も枯渇していることに気づき、やれる時に楽しまなければダメかも、と思った。「楽しまなければ人生損」は母の教え。後先考えなくなったら、ヤクザキリギリスになれた。
  • キリギリス派。きちんとした生活を積み上げている期間と、ハチャメチャな期間がある。きちんとした生活を続けていると、破壊衝動が湧き上がってくる。祭りがやりたくなり、派手にやってしまう。私はそういうバランスのとり方をしている。
  • 大人にって遊べなくなった人が沢山いるらしい。自由な時間をどう過ごせばいいかがわからない。大人になっても子供の遊びを楽しめる人もいる。子供の頃は「遊べない」という感覚がなかった。少し興味があるけど、そこまでワクワクしないことでも、大人はやる。自由な時間を自分の楽しみで費やせないのは日本の教育の影響?
  • 遊ぶスキルが必要。尽きることのない好奇心がスキルの一つなのか?
  • 日本の会社では長い休みが取りにくいので、短い休みの旅行に詰め込みがち。あるとき、同じ宿に二連泊し、間の1日は何も予定を入れなかったら、その豊かさが癖になった。何もしない一日が最高の遊び。
  • 子供の時は、何もしない時間も「遊んでいない」とは思わない。ぼーっとしている時間も、遊んでいる感覚がある。自分が楽しめれば、空想でも、ぼーっとしているだけでも、最高の遊び。大人になるとそれができない人が多い。
  • 遊びは現実逃避したい時間? 非日常の時間。昔、旅行でパワースポット巡りをしたが、そのときの動機も欲得ずくだった。最近の瞑想ブームは日常の雑念を忘れたいため? VRはどうなのかな。今後、遊びにVRがどう組み込まれるのか?
  • 大人の遊びには目的がある。身に着けたい技術とか。子供の頃、あまり時間がないとき、友だちと一緒に200回腹筋をしたことがある。そこには目的は無い。そういう遊びは大人にはできない。
  • 偶然性を愉しめるのが一番の遊び? 全く知らない街を適当に歩くとか。予期せぬことを新しくできる、偶然性に支配された時間を過ごせること。今日出会った偶然を、その時々で選べること。
  • それは『ずっとやりたかったことを、やりなさい(ジュリア・キャメロン)』という本に出てきた「アーティストデート」のよう。
  • 好奇心が旺盛だから、魔界にも入ってみたいと思う。こんまりさんが、選ぶ基準を「ときめき」だと言っていた。大事なのは、ときめくかどうか。夢中になってやってみてダメなら逃げる。自分にぴったりなものに出会えないか、いろいろ試してみる。常に期待していれば、ずっと楽しいのでは?懸賞に応募するとか。
  • 赤瀬川さんの路上観察会が面白い。アスファルトの穴から生えている雑草を坪庭と呼んだり、壁に空いている穴から伸びている雑草を植物ワイパーと呼んだり。当たり前のものを別の角度から見るのは、大人にしかできない遊び。
  • 男性に多いのがストレス発散=遊びというパターン。それって、本当にやりたいこと? ストレス発散は口実?
  • やって楽しい遊びと、やらなきゃよかったと思う遊び。
  • 日本の経済活動は、ストレスがある人のお陰で成り立っている面がある。今の私は全然ストレスが無いので、発散する必要が無い。仕事を辞めた時、これで思う存分自分の好きな事ができると思った。翌日の仕事を考えずに行動できる。仕事がなければ、できることは沢山ある。思いっきり本を読む。読書会も立ち上げた。遊びを支えてくれる人間関係があれば飽きない。アリのごとく遊んでいる自分がいる。自分は仕事好きだと思っていたが、思い切り遊んで自分を再発見した。
  • 最近講義をまともに聞けない大学生が増えている。オンラインで好きな場所で倍速視聴する習慣が影響しているのかも。遊びの反対側に、遊びじゃない日常がある。バランスが崩れると大変。
  • 遊びで得られるものと得られないもの。個人的には、遊びはストレス解消にならない。人によって得られるもの、得られないものは違うのか。
  • 得られるもの:立ち位置を変える。客観的になる。得られないもの:報酬
    遊びの大切さは、戻れる日常があってこそ。相対的なもの。ずっと自由、ずっと遊びでは物足りない。自分を見失いそうな気がする。両方ないと自分の存在が危うくなる気がする。
  • 私は一人でずっと遊んでいられる派。得られるもの:魂の開放。生まれてきて良かったという感覚。得られないもの:社会的な関り、社会人としてやらなきゃいけないこと
  • 遊びのデメリット。コロナ禍で、音楽フェスや飲み会などが減ってしまった。そういった遊びがないと生きていけない人は、コロナ禍でも行ける時には行ってしまい、遊びのツケを自分で払うことになる。ギャンブルやお酒もツケを払わなければならない。
  • 祝祭性を伴う遊びには、リスクが付いてくるのかも。
  • 日常、仕事をしていると、何らかの制限下で暮らす。遊びには枠がないので自由になれる。遊びで得られるもの:無限。得られないもの:自分の発想できる範囲内でしか遊べない。周囲との関係の中で得られるものが得られない。
  • 自分がこれをやりたいと思ったことを愉しむ。自分を成就することが遊び。仕事や学校には比重を置かない。遊びをいかに楽しめるかが大人。
    魂が喜ぶことを見つけるのが遊び。
  • 自分を成就する仕事もあるのかも? 仕事と遊びが一緒というパターンは? 生活と遊びが一緒?
  • 仕事は楽しいが、ずっと続けてはいけない。仕事の報酬を受け取るだけの仕事ができているかどうか判断しなければならない年齢がやって来る。ふさわしくない人間に限って、仕事にしがみつく。私はあっさり辞めることができ、自分にやりたいことがあって良かった。仕事が生きがいでは危ない。それ以外のスペアがあった方が人生の後半生きやすい。
  • 仕事も遊び、家庭も遊び。逃げるクライアント、なびくクライアント、すべて遊び。金銭だけではない対価もある。
  • 報酬無しで仕事ができるのか? そもそも報酬がない作業を仕事と呼ぶのか?
  • ただ働きが当たり前と思われているのが家事。褒められるという報酬も無い。これをどう解消していくか。
  • 仕事はMust Work。それとは別のCan Workがある。名誉につながるもの。Like Workは好きでやるもの。すべてWork.。遊びはその3つと無関係なもの。
  • Rice work, life work, like work
  • ギャンブルのように損してナンボ、も遊びの要素?
  • 遊びには4つのカテゴリがあるという話を聞いたことがある。
  • 遊びにはナンセンスと無駄が必要?
  • 仕事はお金のためにするが、楽しい。報酬がないものは仕事ではない。岡本太郎は仕事とかの意識ではなく「生きる」だったのでは。わたしの最高の遊びは、子育て。予測をひっくり返される楽しさ。一生懸命する楽しさ。ハイリスクノーリターンという、見返りを求めないことも大事。子育ては体験型アトラクションだった。
  • 報酬をもらわなくても仕事をする派。仕事をすることで、何か得るものがあるから。どうせやるなら、相手が「お金を出そうか」というくらいやってやろうという気持ちがある。これが冒険であり、遊び。

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