おなごテツ

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12月18日(土):信頼できる人とできない人

11月23日に行われた「おなごテツ」のテーマは、その場で決めました。いくつかの候補の中から選ばれたのは「信頼できる人とできない人」というテーマでした。以下は当日の発言録です。

●信頼できる人とは、約束を守るだろうと予測・期待できる人。
●基本的に信頼しない。期待した行動をする人を信頼するとしたら、誰かになにかを期待すること自体、失礼だという気がする。
●信頼と信用はどう違うのか?信用には条件がつくけど、信頼は無条件に信じるようなイメージ。
●信頼できる人は、言いにくいことを言ってくれる人。心から相手のことを思って言ってくれる。
●信頼できるかどうかわかるには15年くらいかかる。少しずつ降り積もり「信頼」になる。時間によって昔の言動の意味に気づく時もあり、根強い信頼につながる。
●信頼は貯金通帳みたい。お付き合いの中で信頼が深まったりがっかりしたり、増減する。
●他者を信頼するには自分を信頼することも前提になる。
●レスポンスが返ってこないと大切にされてない気がする。自分は誠実に接しているのに、と思うと相手を信頼できない。自分と同じ価値観(感覚)の人を信頼する。
●愛なら一方的に与えてもいいけれど、信頼には返ってきてほしい。
●インフラみたいに勇気や正義があれば、個人の「信頼」は不要になるのでは。
●その人の言動の予測しやすさは信頼に関わる。
●個人的な感情レベルで依存している時「信頼」という言葉を使うのでは。「信用」には愛着や依存という感覚がない。
●自分の言行を一致させると、他者からはわかりやすい、信頼できると感じられるのでは。
●わかりやすい人ほど信頼できる。人から信頼してほしい時、自分をわかりやすく見せる。理解してもらいやすいように。
●自分中心ではなく八方美人でもなく、言動が一貫していると信頼できる←つまり、「私だけに優しい人は信頼できる」ということ?それはちょっと違う気がする。
●気がおける、おけない、というのは「信頼」とはどう違うのか? 気を遣って話すことに対して責められると苦手。そのあたり「信頼」とつながっている?
●信頼できる人とは、必要な時に利他的な思考や言動のできる人。
●赤ちゃんは目の前の大人を信頼せざるを得ない。パッと感じて判断しているのでは。一瞬で見分けている。「信頼」は信じて頼ること。
●赤ちゃんの選択は「本能」とも言えるかもしれない。でも母親の方で、赤ちゃんの信頼に応えようとするのでは。気持ちのつながり。
●失敗する人を信頼する。それは失敗を見せてくれるから。自分の弱さを見せるのは難しいことだし、自分と同じ人間だと思わせてくれる。
●人に弱みを見せて騙す人もいる。その人の言行をよく観る。
●人は常に「信頼する、しない」を判断している。なにか自分にわるいことをされた時、「信頼」の一部のドアを閉める。部分的に言う事がよかったとしても、それで全面的に信頼(スペシャル信頼)することにはならない。
●「信頼」には階層があるのでは。判断を細かくするのは大事なのか?
●仲良くしている人でもイヤなことを言われると信頼を失いかける。長いつきあいの人ほど質問できないことがある。意外とつきあいの短い人の方が質問しやすいことも。
●信頼してもらえるようにした方が暮らしやすい。
●信頼されたいと思って行動する人としない人がいるが、ことさらそれを表出する人としない人がいる。「デキる営業マン」というのは、ある種、信頼されるようPRしている人。だから本当に信頼できる人とは言えない。
●依存心の強い人というのはその場に自分を合わせる。信頼されたい自分をつくる人はけっこう多いかも。
●信頼してほしいか、してほしくないかの基準は? 依存するつもりはなくても信頼される方がうまくいきやすい。
●信頼されると好かれる、とは言い切れない。失敗しても愛されるキャラもいる。信頼されようとする、好かれようとする、は「作戦」が違う。
●うまく現実的にするには信頼される方がスムーズ。戦略的に。ただ、それ以上に「心」の問題もある。信頼される喜び、信頼できる心強さがある。
●搾取した者勝ち、みたいな社会で、人間関係もその場限りで搾取しようとする人がいる。信頼とは、余裕がある人が自分の趣味や教養を他者にアピールするイメージ。余裕のない人は信頼よりも「連帯」しないと生きていけない。
●信頼に至るまでに考えなければいけないことがあるのか? 連帯するためにも信頼は必要なのではないか? 共感にも信頼が必要なのではないか。
●信頼は場や役割によって違う。職場などで限定された信頼もある。全人格的な信頼は稀だと思う。
●相互関係で信頼は成り立つ。心と心で信頼がないと計算づくのような。
●裏切られても大丈夫という自信があるから信頼する。
●「心」がないと、理屈だけでは信頼できないと言うけれど、表出側に余裕がないと信頼してもらえない。被害者なのに説明しないとわかってもらえなかったり。また、不祥事の社長が説明責任を果たさないことも多い社会だ。
●余裕とは、相手をゆるせるか、想定内に置けるか、自分の期待過剰を引き受けられるか。相手を、自分をも信頼できるか、に関係している気がする。
●長期にわたる信頼関係には相互作用必要。でも一方的に感じる信頼もある。相手が依頼事をしてくれなくても、それが想定内であれば継続して信頼できる。それは自分の側に「余裕」があるから。それがないと相手に「信頼」という名の負荷がかかる。
●余裕がない状態では人が信頼できないのでは弱者が大変だと思う。 搾取側は弱者(余裕がない人たち)を軽視している。といって信頼することを失っては悪循環になりそう。
●利他的な視点をどれだけ持てるかが大切なのでは。多様な価値観をもった人々が共存するためには、人は平等でさまざまな考えをもって生きているということをお互いが理解していることが必要。そうすれば他者への信頼感が生まれる。
●子どもを信頼しているが、それは「愛」に近い。信頼し合っていいるのはミラクルかも。
●仕事は「信用」。家族間の「信頼」は、不均等はあっても信頼は双方向。信頼はあまり考えず意識せずにやっているのかも。
●信頼は、崩れた時にそれがあったことに気づく。
●昨日言ったことが今日変わるのは当たり前。それを前提とすると「信じる」とか「頼る」ということが崩壊していく。人が変わるのは当たり前だから、ウソや裏切りは「変化」という言葉に集約されていく。人は変わると言うことを自分が信じると、全部が「信頼」になるかもしれない。
●信頼は、自分の価値感に頼っているだけ。自分が価値観をもたなければ、相手に依存することもなくなる。
●信頼を頼らなくなる。
●マイノリティーがマジョリティを信頼できるようにしてほしい。
●自分が相手に期待しているから、時に「信頼できない」と感じてしまう。仲のいい友達に裏切られたと感じたことがある。理解するための話し合いさえできず縁が切れた。信頼するにはコミュニケーションが必要。
●信頼するのはする側の勝手。相手に「信頼してる」と伝えるのは相手を縛ることになる。 信頼するしない、ではなく、日々グレーゾーンの中で人は揺らいでいる。

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